日本と韓国がお互いに経済などのやり取りを多く行なうことの合理性(日韓が断交することの非合理性)

 世界貿易機関(WTO)に、日本のうったえは聞き入れられなかったと報じられている。

 東日本大震災による原子力発電所の事故を受けて、韓国ほか二三か国は日本の福島県産などの産品を輸入するのを止めていた。これを日本はおかしいということで韓国を訴え出た。その判決で日本の言いぶんは通らなかった。

 官房長官はこの判決について、敗訴ということになったのにもかかわらず、敗訴は当たらないという、わけのわからないことを言っていた。

 いっそのこと、日本は韓国とのすべてのやり取りをやめてしまったらどうか、ということがツイッターのツイートでは言われていた。これにたいして、すべてのやり取りをやめてしまったら、損害をこうむるのは日本だ、という声が投げかけられている。

 経済のやり取りというのは、取り引きがお互いになりたつのであれば、基本としてお互いに益になるものだ。お互いの満足度や効用が高まるのだ。これを経済学ではパレート改善というそうだ。取り引きの量が増えれば、それだけおたがいの満足度や効用は高まることになる。

 日本と韓国との感情のわだかまりということに引っぱられないようにして、隣国であるのだから、おたがいにやり取りをしつづけるようにして、それを深めるようにするのは日本にとって有益なことだろう。お互いに益になるように、自由な意思にもとづいてさかんに取り引きが行なわれればよい。

 経済の利益を度外視した国家主義よりは、経済の利益をとったほうが合理性が高いだろう。韓国をふくめてできるだけ多くの国と経済の取り引きが行なわれるために、日本の不十分なところや悪いところを改めるようにして行く。日本でつくったものは安全だといったような安全神話によるのではない、一方的に押しつけるのではなく開かれた双方向のあり方によって、不信感を払しょくするように努めるのはどうだろうか。

 参照文献 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之