首相がタカ派であることと、理論と実践(行動)とのかね合い(相関性)

 結果を出すことが大事だ。それを重んじるのがタカ派だ。タカ派であるのが私だ。首相はそういうあり方をとっている。結果や成果と、それを出すことに価値を重く置いているのだ。

 首相のあり方は、理論と実践ということでいうと、理論よりも実践のほうに重きを置いている。タカ派ということによるものだが、右派は直接の行動をよしとするのだと言われている。

 理論と実践との関わりということでいうと、実感と実証ということがある。言うことややることが、たんなる実感というだけなのであれば、そこまで確かだとは言えそうにない。主観であるのにとどまる。客観として実証されているのではない。

 理論にもとづいて実践するということになるので、実践よりも理論のほうが大事だというのがある。数ある中でそういう視点をとれるというのにすぎないものではあるが、どういう現状認識(世界観)にもとづいて、どういう行動や手をとるのかというのがある。現状をどう認識するのかは、人によってちがうのがあるし、どういう理論や思想によるのかでもちがう。

 理論や思想によって、現状を認識したり現実を見たりしてしまうのがあるから、そのさいにいることは、認知のゆがみが大きく働きすぎないようにすることではないだろうか。たとえば、自分たちは正しいといったような理論や思想によっていれば、それにもとづく現状の認識となって、そこから行動がとられるので、認知のゆがみが大きくなってしまう。

 理論や思想よりも、じっさいの実践のほうが大事なのだということになると、深みが欠けてしまい、うすっぺらいものになってしまいかねない。じっさいの実践(行動)によって成果が出ているとか結果が出ているというのだと、実践がよしとされて、それに重きが置かれがちになるが、そうなると自分たちがどういう理論や思想によっているのかが省みられづらい。

 もしまちがった理論や思想によっているのだとすれば、それによって実践や現状の認識に負の影響が出ることになるから、できるだけ早めに省みる機会をもって歯止めがかけられたほうがよい。そういう点では、実践よりも理論や思想のほうがより重要だ。実践をして、よい成果や結果を出したり、現状を認識したりするためにも、何の筋書きの物語によって立っているのかが肝心になる。よって立っている物語を教条(ドグマ)化したり権威化したりしないようにして疑うことがたまにはいる。

 参照文献 『倫理思想辞典』星野勉他 『思考のレッスン』丸谷才一 『使える!「国語」の考え方』橋本陽介 『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』内田麻理香 『ヨーガの哲学』立川武蔵 『武器になる思想 知の退行に抗う』小林正弥