いまの首相による政権の言う事実ということに見られるおかしさ(事実と言うには固い証拠がいる)

 われを忘れて事実とは異なる発言をした。国土交通副大臣はそう言った。副大臣は、われを忘れての発言の前に、首相と財務相を忖度したのだと言っていたが、あとでそれを事実ではないということでひるがえした形になった。

 いまの首相による政権の全体に見られることだが、事実ということの使い方がおかしいのではないだろうか。いまの政権には、事実を軽んじることが目だつ。政権にとって、いとも簡単にひるがえしてしまえるほど事実というのがいい加減なものだというのがうかがえる。

 いまの首相による政権では、事実というのが、まさしく事実をさすもの(コンスタティブ)ではなく、行為遂行(パフォーマティブ)や執行のものになってしまっているのだ。それで事実を軽んじることになっている。

 政権は自分たちが行為遂行や執行によっているのにもかかわらず、一部の記者などにはまさしく事実をさす事実確認であることを求めているのだから、二重基準(ダブル・スタンダード)になっているのだ。政権は、まず自分たちから事実を軽んじていい加減にすることを改めるようにしてほしいものだ。

 参照文献 『論破力』西村博之(ひろゆき) 『チャーリー式 一〇〇Q 一〇〇A 「悩み方」を考える超・人生相談』鈴木謙介 『プロ弁護士の「勝つ技法」』矢部正秋