愛国による、日本の国はよいという足場(立ち場)と、疑うさいの足場(何かを疑うさいに、自分が足場にしているものそのものは疑いづらい)

 日本の国はよい。いまの首相による政権はよい。そういう足場(立ち場)がある。

 日本の国をよしとする愛国では、日本の国はよいという足場(立ち場)をとっている。この足場を疑うことは基本としてなされない。

 反日売国とされるものでは、日本の国はよいという足場(立ち場)をとらない。その足場をとらないので、その足場を疑うことができるのだ。

 反日売国とされるものと愛国とを比べると、日本の国はよいという足場を疑えるという点において、反日売国とされるもののほうが少し優れているのではないだろうか。

 たとえ、反日売国とされるものが、日本の国はよいという足場を疑えるのだとしても、何らかの足場によっていることはまちがいがない。反日売国とされるものであろうと、愛国であろうと、何らかの足場(立ち場)によっているという点では共通点をもつ。それが、日本の国をよしとするのか、そうではないのかという点では、相違点がある。

 参照文献 『論理トレーニング』野矢茂樹 『はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内』野矢茂樹