誇りと愛国

 誇りをもつことが愛国だ。日本の国に誇りをもつことで愛国になるということだろう。誇りということにおいては、こうしたことを疑問として投げかけられるかもしれない。なぜ個人が誇りをもつことができないのか、というものだ。

 個人が誇りをもてないのは、労働における職業や賃金や生活のゆとり(のなさ)などが関わっているのではないだろうか。たとえ職業や賃金で十分に恵まれないとしても、ほかのところでそれを補えたり色々な逃げ道があったりするという、社会の厚みや風通しや抜け道が足りていないのも見のがせない。

 誇りをもてずに生きて行かざるをえない人を少しでも救うことが大事なのではないだろうか。いまのあり方においては、救うことができていず、自己責任ということで放ったらかしになっているのがある。これがあるために、いまの日本のあり方には、誇りをもつことができづらい。

 個人が職業などを通して誇りをもって生きて行けるようになることが大切であって、それができづらい社会のあり方になっているのであれば、国に誇りをもてなくても当然だ。国には誇りをもつというのも、一つの道としてはあるかもしれないが、それは適した道だとは必ずしも言いがたい。

 参照文献 『チャーリー式 一〇〇Q 一〇〇A 「悩み方」を考える超・人生相談』鈴木謙介