国家のイデオロギー装置である NHK の悪いところについてはもっとさかんに批判が投げかけられればよいような気が個人的にはする

 NHK は、なぜ政権による嘘とごまかしに加担するのか。こう題された記事があった。この記事にたいして、NHK が自分の気に入るような報道をしないから NHK を批判するのは、自分勝手であるので正しくないのではないかという声が投げかけられていた。

 たしかに、国民の中には色々な意見の人がいるのだから、自分が気に入るような報道を NHK がしてくれることはあまりのぞみづらい。つり合いというのはあるだろう。

 受けとる人によって変わってくるというのはある。左の人であれば NHK が右寄りに映るだろうし、右の人であれば NHK が左寄りに映る。個人的なことを言わせてもらうと、いまの NHK は右に寄っているところがあるから、NHK の報道はつり合いがとれていると受けとるにしても、NHK そのものが右に寄っていることはまぬがれそうにない。

 報道機関というのは国家のイデオロギー装置であるから、報道機関は国家の権力に加担することはおきやすい。報道機関が自分で気を抜いていると、たやすく権力に迎合することになりやすい。いまの NHK はそこがあまりにもゆるゆるなのはあるだろう。

 報道をふくめてテレビ番組はおしなべてバラエティ(娯楽)化してしまっていると言われる。NHK にもまたそういうところがたぶんに見られるものだろう。仕事をするということは、問題を見つけることであって、いまの日本の政治や社会がかかえているさまざまな問題を見つけて行くことが NHK の行なうべき仕事に当たるが、それが報道においてはできていないのはいなめない。仕事ができているとは見なしづらいのが個人的にはある。

 仕事ができていないということが、すなわち NHK が政権の嘘やごまかしに加担してしまっていることをあらわす。NHK の報道における、報道の優先順位(プライオリティー)にもそれがあらわれている。

 優先順位のつけ方は、人それぞれではあるから、これが絶対だというのはなかなかできるものではないが、それにしても、とるに足りないような、どうでもよいようなことを優先順位の高いところに置いて報道してしまってはいないだろうか。とるに足りないような、さしてどうでもよいようなことは、優先順位が低いから、報じる価値が高いとは見なしづらい。

 さしてどうでもよいようなことを報じることが、ほんとうは重要なことを隠してしまう。あたり前のことではあるが、何かを報じることは、何かを報じないことでもある。顕在と潜在(秘匿)が表と裏の関係になっているということだ。

 価値というのは絶対(客観)のものではなくて相対(主観)のものだから、人それぞれのものではあるものの、そこまで価値が高くはないようなものを、優先して報じてしまっているのがあることに、NHK の番組におけるバラエティ化が見てとれる。バラエティ化することで、でこぼこがならされて平らになってまったり化する。もっとでこぼこを浮きぼりにしてくれればよいものの、それを避けてゆるゆるになってしまっていることについては批判を投げかけたい。

 色々なところへのおもんばかりがあってやりづらいかもしれないが、権力者を権威化や教条(ドグマ)化するのではなくて、そこにたいしてもっと NHK は自分から疑って行くのを行なうのはどうだろうか。権力について疑わないで信じるというのは、あり方としてそこまで面白いものだとは見なしづらい。権力者にたいしてどんどん疑っていって批判やつっこみをしたほうが、報じる内容が少しくらいは面白くなるのではないか。けしからんということで色々なところからひんしゅくを買ってしまうかもしれないが。

 参照文献 『放送作家になろう! 人気作家が語る体験的養成講座』佐竹大心とポトマックス 『美しい日本の掲示板』鈴木淳史 『問題解決力を鍛える』稲崎宏治 『思考のレッスン』丸谷才一 『うたがいの神様』千原ジュニア