原子力発電の是非について、たんに是として終わりにするのではなく、是と非を比べて争点化することを試みたい

 感情的な人との議論には意味がない。日本経済団体連合会の会長は、原子力発電についてそう述べている。感情的に原発に反対をする人たちとの議論には意味がないというのだ。

 感情的に原発に反対をする人たちと議論することに意味がないと見なすのは、適した定義(性格)づけだとは言いがたい。ふさわしくない箱(ボックス)思考による分類だ。

 感情的になるのは重要なことがらであればある程度はやむをえないものだし、原発に賛成だろうと反対だろうと、いずれにせよ話に熱が入ればどちらにも当てはまることだ。まったく感情的になっていないか、それとも感情的になっているかといった〇か一かで見ないで、度合いのちがいとして見ることがいる。

 原発について議論することは有益であって、賛成か反対かを争点化するべきである。原発に賛成して、それでよしとすることで終わりにするのではなくて、賛成と反対によって対立点をつくることがいる。

 原発に賛成するにしても、原発がもっている否定の契機があることはいなめない。不都合な部分である否定の契機を隠ぺいしたり抹消したりするのはふさわしいことだとは言いがたい。何ごとにおいても利点と欠点があるのだから、利点だけということはないので、利点だけがあるとしたて上げないようにして、欠点を見ることは欠かせない。

 白か黒かで割り切れるとは言いがたく、純粋に白だとは言えないのが現実だ。白と黒が入り混じっているあり方として見ることができるので、白の中に黒を見て、黒の中に白を見られる。

 原発に賛成するか、それとも反対するかは、どちらかだけが正しいとは言えそうになく、状況によって変わってくるものだろう。原発を動かすのにさまざまな費用がかかるとすれば、大きな費用にたいしてそこまでの利益がないのであれば割りに合うものではない。日本は地震国であって、地震がひん発すれば原発の安全性は揺らいてくる心配がある。原発の安全性や利点を教条(ドグマ)化したり権威化したりするのには待ったをかけたい。

 参照文献 『「六〇分」図解トレーニング ロジカル・シンキング』茂木秀昭 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』内田麻理香 『トランスモダンの作法』今村仁司他 『大地震は近づいているか』溝上恵