言葉の使いかたは(やっぱり)むずかしい

 女性の運転手のみなさんに質問があります。やっぱり、車の運転は苦手でしょうか。トヨタ自動車は、こうした質問をツイッターのツイートで他のユーザーに投げかけたという。この質問にたいして批判が投げかけられている。

 一見したところよくわからなかったのだが、色々な声を目にすることで、おかしいものであるということが改めて分かった。車の運転が苦手かどうかをたずねるさいに、やっぱりという言い方が使われている。このやっぱりというのは、やはりの促音形(「っ」がある形)となるものだ。

 やっぱりという言い方はなにげなく使ってしまいがちだ。悪気があって使ったのではないだろうけど、それだけにふいに使うことで一歩まちがえるとうかつな言い方につながりかねない。企業のツイッターとしては、言い方に気をつけるべきだっただろう。

 トヨタ自動車ツイッターのツイートでは、女性の皆さんに質問ですとして、女性に向けてたずねているが、男性や女性といった性によるくくりは、分類が関わってくるので危なさがある。分類によっていてなおかつ否定の定義(性格)づけとなると、悪い意図が明らさまにはなかったのだとしても独断や偏見につながりかねない。

 たんに車の運転は苦手かどうかとたずねるのではなくて、得意かそれとも苦手か、というふうにたずねたほうがまだ無難だったかもしれない。車の運転で事故をおこさぬように気をつけることがいるのと同じように、企業を背負っているのであれば、ツイッターのツイートでは慎重な言いまわしに気をつけることが求められる。

 ついうっかり適していないことを言ってしまうことはありがちだし、ツイッターのツイートだと気軽に言うことができるのはあるが、なるべく気をつけたいものだ。

 気をつけるさいに、おもしろみや瞬発性はないだろうけど、言葉足らずにならないように気をつけて、言葉数を増やして趣旨がわかるようにするなどして説明をするようにしたほうが多少は安全だ。言葉数が少ないと、悪意がなかったとしても誤解をまねいてしまうことがある。発言には意図が入りこむものだが、それを自覚しておくのも手だ。意図が入っていることで情報の汚染がおきる。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『情報汚染の時代』高田明