官房長官と記者とのやり取りで、記者による質問とは別に、やり取り(記者会見)そのものにたいする設問をとることができる

 あなたに答える必要はない。政権にきびしい質問を投げかけてくる記者にたいして、官房長官はそう言ったという。これについて一部の報道機関は、報道の自由や国民の知る権利をさまたげかねないものだとして批判を投げかけている。

 はたして、官房長官の記者会見において、記者が投げかける質問としてふさわしいものとは一体どういったものなのだろうか。記者が政権に質問を投げかけるのにおいてのふさわしさとは別に、記者会見そのものについて質問を投げかけることをしてみることができる。

 官房長官が記者の質問を受けつける、記者会見そのもののあり方に問題があるのだとしたら、記者会見そのものに質問を投げかけてみることで、問題にとり組むことのとっかかりとなる。

 いまの首相による政権ということはさしあたってカッコに入れるようにして、どういった政権であったとしても、どうあることがよいのかというふうに見るようにしてみたい。この政権には当てはまっても、ちがう政権のときには当てはまらないといったようなことでは、自由主義における普遍化可能性(反転可能性)においてまずいものだ。特殊なあり方になってしまっている。

 類似においては、この政権のときはこうだけど、ちがう政権のときはそれとは異なるというのでは、正義や公平の原則にかなっているとは言いがたい。同じ本質をもつ類似したものには同じあつかいをしなければならない。そうするためには、これまではどうだったのかや、これからどうするのがよいのかを、一から見直す。これまでをふり返るという点でも、質問を投げかけることがいる。

 政権にとってきびしい質問を投げかけてくる記者は、政権にとってはうとましいものだろう。たとえうとましいのだとしても、順序が逆なのであって、きびしい質問を記者から投げかけられても困らないようなことを政権ははじめからしているべきだろう。

 選挙で選ばれたから政権は正しいことをするというのは、正しいことをすることがまったくないとは言えないものの、確証(肯定)の認知の歪みや思いこみ(アサンプション)がはたらいている。政権は人間によって成り立っているために、まちがいを避けられない。自由主義においては、反対勢力(オポジション)などからの批判(反証)にたいして開かれているのでないとならない。

 おかしなことやまちがっていることを政権がやっているから、記者からのきびしい質問にまともに答えられなくなる。そう見なすしかない。これを記者が悪いのだとするのは、政権が自分たちのおかしさやまちがいを記者になすりつけてしまうことになる。

 記者が適していない質問を政権に投げかけているというよりも、適していない者(政治家)が政権についているのではないだろうか。そこについては人によって色々によし悪しを見られるものではあるだろうけど、政権にたいして忖度せずに空気を読まない記者を悪玉化することでこと足りるとは言えそうにない。

 権力は支配をするものだ。権力がもつ虚偽意識(イデオロギー)によって、権力にしたがうようにそれぞれの人々に呼びかける。その呼びかけに応じることによって権力にしたがうあり方が形づくられる。自発的服従だ。したがわずにあらがう人がおきれば、権力にとってはうとましいことになって、むき出しの暴力をとることにつながりかねない。権力からの呼びかけにしたがわずに、あらがう人がいるのだとしても、それを受け入れることができたほうが寛容性がある。

 ぶつかり合いになると緊張や対立がおきて難しいのはある。〇か一かで、どちらかが完ぺきに正しくてもう一方が完ぺきにまちがっているというのではないだろう。そこは社会関係(パブリック・リレーションズ)ということで、倫理観を示して、(一方向ではなく)双方向によるようにして、自己修正を互いにきかせられればよい。

 政権と記者ということだと、二者関係になって、どちらかが〇でどちらかが一だということになりやすい。これを三者関係の図式で見られる。現実(民意)があって、そこからずれたところに虚偽意識による政権があって、政権にたいする批判として記者や野党などがいる。報道機関もまた権力の一つではあるものの、虚偽意識である政権にとってうとましいとなると排除されやすいのが報道機関や野党などの反対勢力(オポジション)だ。

 権力にしたがう者だけを権力がよしとするようであれば、画一化されることになる。画一化は単一性ということであって、安定さを欠く。単一性ではなくさまざまなあり方による多様さがあることが安定さにつながる。単一性によるのだといざというときに総くずれになって絶滅しかねないが、色々なものによっていて多様であればそうなりづらい。生態学では、多様安定相関の原理というのがあるという。色々なものによる多様さは安定することの必要条件だということだ。

 参照文献 『企業参謀ノート 入門編』大前研一監修 プレジデント書籍編集部編 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』井上達夫 『科学文明に未来はあるか』野坂昭如編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『「説明責任」とは何か』井之上喬(たかし) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信