国のかくあるべしによる単一の一方的な当為(ゾルレン)と、県の民主主義をくみ入れたかくある(さまざまな意見がある)実在(ザイン)

 沖縄県には沖縄県の民主主義がある。それとはちがい、国の民主主義がある。防衛相はそう言ったという。沖縄の民主主義よりも、国の民主主義のほうが大事なのであって、そちらを重んじることがいるということを言いたいのだろうか。

 沖縄では、新しいアメリカ軍の基地を移設して建てることを問う県民投票が行なわれて、反対が多数となる結果となった。国はこの結果を受け入れたくないために、沖縄とはちがう国の民主主義があるのだと防衛相は言ったのかもしれない。

 防衛相が言うように、沖縄には沖縄の、国には国の民主主義はあるかもしれないが、そうだからといって、沖縄のを軽んじて、国のを重んじるのはふさわしいことなのだろうか。沖縄のよりも国のを重んじることの確かな根拠はどこにあるのかは必ずしも定かではない。

 法学者のハンス・ケルゼンはこう言っているという。民主主義とは政治の相対主義の表現である。多数決による決定と少数派の保護を本質としてもつ。これをくみ入れると、沖縄とはちがう国の民主主義があるからといって、国の民主主義を絶対化するわけには行かない。国の民主主義は相対化するべきだろう。

 民主主義が相対主義によるのがあるし、なおかつ民主主義もまた相対的なものだと見られる。民主主義が何よりも価値を持つというのではなくて、さまざまな価値を持つものの中の一つとして民主主義があると位置づけられる。価値相対主義による。民主主義はすぐれた合理性(形式の合理性)を持つものではあるものの、ほかの価値を持つものとの緊張を持ったつな引きによって成り立つ。

 国は多数(強者)で一つの県は少数(弱者)ということであれば、少数者の言いぶんを重んじるということは大切だ。これを民主主義よりもより価値のあるものだと見なすことがいることがある。民主主義によって何でもかんでも決めてよいとは言えず、それが暴走するさいに歯止めをきかせるためのものとして憲法による近代の立憲主義がある。

 国は、多数や強者であるという自分たちのおごりをかっこに入れるようにして、国とはちがう県の民主主義があるというのであれば、その県の民主主義とまともに向き合うようにしたらどうだろうか。

 参照文献 『民主制の欠点 仲良く論争しよう』内野正幸 『よくわかる法哲学・法思想』(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)