反日や売国はよくないということにおいて、そもそも日本という国がよいというのは、無条件には言えないことで、客観の価値を持っているとは言えず、確証(肯定)の認知の歪みだと見られる

 日本の国益に反する学問に、税金を使うのはおかしい。反日売国の学問に税金を使うべきではない。いまの与党である自由民主党の議員はそう言っていた。これは、第二次世界大戦がおきる前に、ドイツのアドルフ・ヒトラーによるナチズムが行なったことをほうふつとさせるものだ。

 何でもナチズムは、ドイツの国や民族にとってのぞましくないとされるような、ユダヤ人の手になる書物などを、人々をあおり立てることによって焼き払ったのだという。学問においては、ドイツの国や民族にとってのぞましくないとされるユダヤ系の学者などを、学問の場から追放した。

 この歴史を省みるのであれば、いまの日本において、反日売国ということで書物や学問を排除するようなことは、ドイツのナチズムに見られるまちがった歴史をふたたびくり返すことになりかねない。

 ドイツの学者(社会学者)であるマックス・ウェーバーはこう言っているという。もともと学問の価値というのは広く人々に分かってもらうことができづらいものだ。かんたんに人に分かってもらうことはできづらく、分かる人には分かるというところがある。客観の価値ではなく、主観の価値によっている。

 哲学者のフリードリヒ・ニーチェが言ったとされる神の死がある。最高価値の没落だ。これによって価値の(一神教ではなく)多神教となる。人間にはまちがうことのない合理性がそなわっていず、合理性の限界や限定された合理性があるのにとどまる。それとともに、基本としてはそれぞれの人がそれなりの合理性をもって色々な活動を行なっている。合理か非合理(反日売国)かというふうにはっきりとは分けづらいのだ。

 政治家は色々と忙しいだろうから、なかなかひまになる時間は持ちづらいかもしれない。学問というのはもともと学校(スクール)で行なわれていて、学校の語源はひま(スコレー)であるという。中世の哲学であるスコラ哲学もここから来ているという。スコレーとは古代ギリシア語で、ひまや余暇をさす。

 近代に入って、忙しさ(ビジー)による商売や経済(ビジネス)が重んじられるようになった。近代に入る前は、忙しく働くことは重んじられず、ひまや余暇であるスコレーのほうに価値があった。古代ギリシアでは、日常の労働は奴隷の身分の人たちがたずさわっていて、上の身分の人たちは忙しく働くことをさげすんでいたとされる。

 近代より前は、余暇(オティウム)のほうが重んじられていた。余暇を重んじることとして、学問や遊び(遊戯)や芸術などがある。オティウムはラテン語で、スコレーとほぼ同じものだ。その否定であるのが非余暇(ネゴティウム)だとされる。近代に入ってから、あり方が転じて、労働などの非余暇のほうが重んじられるようになった。近代における労働などの非余暇を重んじるあり方は、けっして絶対に正しいものとは言い切れないことに注意したい。

 忙しくすごしていると見えてこないものがあったり、見すごしてしまったりすることがある。忙しく働くことは世界への参与(コミットメント)だが、そこから離脱(ディタッチメント)することができれば、それによって近代による忙しさをよしとするあり方を相対化することにつながるのではないか。そのためにも、もとはスコレーから来ている学問(の自律性)は大事だということができる。じっさいの現実のあり方としてはひまを許すものではなく忙しいものではあるだろうけど。

 思想家で哲学者のハンナ・アーレントは、世界撤退ということを言っているという。ふつうは人は忙しく働いているわけだけど、そうした世界から撤退するようにする。そのためにはまずひまである余暇がないとならない。余暇があることで立ち止まることができて、思考のきっかけができるというのだ。現在(現実)にあまり埋没しすぎないというのは大事だ。

 たとえ自民党の議員にとって価値が分かりづらいのだとしても、それを反日売国というふうに気やすく見なして、一部の人たちをあおり立てることによって、活動させづらくしたり、表の場からとり除こうとしたりすることは、のぞましいことだとは言えそうにない。

 自民党の議員は、自分がよく分からないものであるのであれば、それを自分で少しでも分かろうとしたらどうだろうか。たとえ同意(合意)はできないのだとしても、それとは別に少しでも理解を進めることはできるはずだ。

 理解を少しであっても進めていって、それでたとえ同意はできないのだとしても、価値のちがいはあったとしてもそれはそれとして最低限において認める、ということはやりようによってはできるだろう。それを抜きにして、いきなり駄目なものとして排除しようとするのは、乱暴であり急進であるということになるから、できるだけしないようにしたい。

 参照文献 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之 『トランスモダンの作法』今村仁司他 『作ると考える』今村仁司 「現代人と余暇」(「生活起点」No.一〇 一九九九年三月)今村仁司 『あなたの人生が変わる対話術』泉谷閑示(いずみやかんじ) 『相対化の時代』坂本義和現代思想の断層』徳永恂