一部に賢さをもつ地方自治体があるいっぽうで、とてもではないが賢いとは言いがたいいまの時の政権がある(右とか左とか、大きい政府とか小さい政府とかという問題ではない)

 子どもが生まれたら一〇〇〇万円を与える。子どもを三人以上生んだ人に一〇〇〇万円を与える。少子化を食いとめるための案としてそうしたことが言われている。このような案はまだじっさいに行なわれていないが、こうした案ではなくて、ちがったやり方をとるようにするのはどうだろうか。

 少子化を食いとめるために、そこにたいして直接に手を打つのではない。間接の手を打つ。少子化という現象に直接に手を打つのではなくて、間接として人々が少しでも生きて行きやすいようにする。社会的排除を減らすようにして、社会的包摂をうながす。

 少子化の現象に直接にではなく間接に手を打つのは、かんたんに言うと、いまの憲法を守るということだ。いまの憲法における最高の価値とされる、個人の尊重をなすようにする。人々が生きて行きやすいように、自由の幅を高めるようにして、幸福追求権をとれるようにする。

 間接の手を打つことによってうまく行っているところがあるのだという。兵庫県明石市では、色々な年代の市民にたいして、生きづらさを抱える市民に手をさしのべることをしているという。人には色々な生きる上での事情というものがあるのであって、そのために生きづらさを持たざるをえないことがある。そうした人たちにたいして支えの手をさしのべることによって、子どもの出生率の数値がよくなっているというのだ。

 結果がすべてだとか成果を出すと言っておきながら、いまの首相による政権ではさしたる結果や成果は出ているとは言えそうにないが、そのいっぽうで兵庫県明石市ではそれが出ているというのだ。国よりも(兵庫県明石市のような)地方自治体のほうが立派だと言えはしないだろうか。とてもではないが、いまの国の政治にたずさわっているいまの時の政権は賢いとは言いがたいが、それに引きかえ一部の地方自治体には賢さを持っているところがあると言えそうだ。

 いまの時の政権は、自分たちよりも賢い地方自治体を見ならい、そこから少しでも知恵を得るようにするのなら、いまの時の政権はほんの少しくらいは賢くなれるかもしれない。

 少子化への対策を含めて、大切なのは、社会的排除を減らして、社会的包摂をうながすことにあるのではないか。まっとうな(ディーセントな)生き方ができるようにする。いまの憲法で言われていることを大切にするようにする(憲法の改正の議論を絶対にするなというのではないが)。

 とりわけ日本では労働者を含めて人々の人格をないがしろにしがちだが、それを改めるようにして、一人ひとりを手段としてではなく目的(人格)と見なすようにして行く。とりわけ労働において見られることだが、さまざまに行なわれている違法なことがなくなるようにして、法律が守られるようにする。

 いまの時の政権は、社会的包摂をうながすにはほど遠く、むしろ社会的排除をうながしてしまっているのが見うけられる。これはあくまでも個人的な見かただから、ほかの見かたもさまざまにとれるだろうし、まちがっているのはあるかもしれないが、社会における包摂をうながすことの足かせにいまの時の政権がなってしまっているような気がしてならない。

 いまの時の政権が社会における包摂にそぐわないことは、国会において野党である反対勢力(オポジション)を軽んじていることにあらわれている。議会の外では気に食わない報道機関や記者を排除することで、反対勢力(オポジション)を押さえつけようとしている。これは社会における包摂に逆行することだ。

 いまの時の政権は、自分たちや身内の人格を重んじるよりも(それをほんの少しもするなとは言わないが)、もっと国民(とりわけ労働者)の一人ひとりの人格が損なわれていることにまともに目を向けたらどうか。そのためには、まずできることとして、議会の中および外の反対勢力(オポジション)を軽んじたり排除したりしないようにすることがいる。

 参照文献 『これが答えだ! 少子化問題赤川学 『事例でみる生活困窮者』一般社団法人社会的包摂サポートセンター編 『「野党」論』吉田徹 『労働法はぼくらの味方!』笹山尚人