官房長官の記者会見における、官房長官と記者とのあいだの紛争

 記者が国民の代表であるという根拠を示せ。首相官邸は、東京新聞にたいしてそう求めているという。

 たしかに、東京新聞の記者は、官房長官の記者会見において、政権にとって耳に痛く響くような質問を投げかけている。東京新聞の記者は、政権に忖度をせず、空気を読んでいるとは言えそうにない。

 政権が一〇〇パーセント悪くて、東京新聞の記者が一〇〇パーセント正しいということではないだろうが、たとえ与党の政治家が国民の相対の多数から選ばれているからといって、それをもってしてあらゆることにおいて正しいことを言ったりやったりするとは言えそうにない。報道機関が権力チェックをすることはいることだ。

 官房長官の記者会見において、官房長官東京新聞の記者とのあいだで紛争がおきているととらえられる。この紛争の主体は、官房長官(政権)と記者だ。手段としては、記者が質問を投げかけることによる。争点の一つは、政権がでたらめやおかしなことをやっている疑いが濃いことだ。政権は説明責任(アカウンタビリティ)や情報公開をきわめて不十分にしか果たしていない。

 政権は、記者を悪玉化して排除しようとすることで、紛争の一方の主体や手段をなくそうとするのではなく、争点を解決することに努めることがいる。主体や手段をとれなくするのは対症療法だが、争点の解決は根本のものだ。いまのところ、政権は争点をまったく解決できていないし、しようともしていない。問題の認識すらできていないのかもしれない。そのことによって民主主義をないがしろにしている。

 政権は、国民の相対の多数から選ばれている代表だということであれば、自分たちは多数派になるのだから、少数派を尊重して承認するようにするのはどうだろうか。官房長官の記者会見を、官房長官と記者とのあいだの紛争だと見られるとすれば、相対の多数派から支持されている政権ではなく、どちらかといえば(政治のじっさいの権力を持たないという点で)少数派で弱者に当たる記者を尊重して承認するようにする。

 政権は、承認的正義をなすようにして、議会外の反対勢力(オポジション)である東京新聞の記者を尊重して承認するようにしたらよい。そうすることが自由民主主義においてはのぞましいが、じっさいには東京新聞の記者は政権からにらまれて悪玉化されている。そこで紛争のぶつかり合いがおきているわけだが、この紛争のぶつかり合いは、あくまでも民主的に開かれた中で何とかすることがいる。民主的に開かれた中で何とかするには、政権は記者の言い分を十分に受けとめて聞き入れることが欠かせない。そのために政権は記者にたいして承認的正義をなすことがいる。

 参照文献 『「野党」論』吉田徹 『一三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら)