首相や政権の嘘と事実

 首相である私が嘘を言うわけはない。嘘を言うはずがない。嘘を言っているのだというのなら、きわめて無礼だ。野党の議員にたいして首相はそう言っていた。このさい、嘘ということに関わるものとして、事実ということがある。

 事実には、それに立ち会う人と伝える人と認める人がいるという。それがあることで現象は事実になるという。事実をそのまま言えば嘘にはならない。そこにおいては、事実にじっさいに立ち会ったのかや、じっさいに立ち会ったうえで伝えているのかがある。もし間接的なまた聞きということであれば、じっさいに立ち会った人はまた別にいることになって、その人が嘘を言っていることがある。

 じっさいに立ち会っていたり、立ち会った人が本当のことを言ったりするとしても、伝える人が嘘を言ったり、伝えまちがうことがある。伝えられたことを受けとるさいに、まちがって受けとってしまうこともあるだろう。

 首相が嘘を言っているのかどうかでは、事実かどうかということにおいて、立ち会う人がどうかというのがあるし、伝える人がどうかというのがある。首相が言うことを受けとる方としては、いついかなるさいにも首相が嘘を言っているというのは行きすぎているにしても、首相が嘘を言っているというふうに受けとることが、当たっていることがある。まさしく首相が嘘を言っていることにじかに立ち会っていることがないではない。

 首相が嘘を言っていることにじかに立ち会った人が、首相が嘘を言っている(いた)ということを伝えるとして、それをまさしく本当のことだと受けとることが、必ずしもまちがった受けとり方だとは言えそうにない。首相が嘘を言っていることにじかに(テレビなどの報道を含む)立ち会う機会が絶対にないとは言えないし、それを伝えることがいけないことだとは言えず、伝えられたことを信用することが事実に反することになるとは言い切れないものだ。

 参照文献 『日本語は哲学する言語である』小浜逸郎