一般の男性やその母親に非があるとしても、人間として悪いと決めつけるのは、議論としてふさわしいものとは言えそうにない(気をつけたいものである)

 天皇家の女性が、一般の男性と結婚をする。この一般の男性(とその母親)に、一部から批判の目が向けられている。批判をすることはあってもよいが、婚約の相手である一般の男性とその母親にたいして、人格を否定するようなことを言うのはどうなのだろうか。

 婚約の相手である一般の男性やその母親が、非のうちどころのないような人格者であれば理想だが、そうではなく非があるのだからといって、人間をまるごと否定するようなふうに見るのにはうなずきづらい。できるかぎり、一般の男性やその母親について、人間としてこうだというふうに悪く決めつけない報じ方がのぞましい。大手の報道機関は、政権の不正などの、もっとほかに報じなければいけないことがあるはずだ。

 天皇家の女性と一般の男性とが結婚をするのにさいして、自由意思かそれとも父権主義(パターナリズム)による干渉かということがある。この二つのどちらがよいのかが割り切りづらい。基本としては、父権主義による干渉はできるだけしないようにして、本人たちの意思に任せるのがよいのだろうが、(天皇家ということで)公が関わっているところがあるだろうし、干渉することがまったくもって悪いかどうかはわからない。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一