いまの政権(官房長官)を困らせるような質問が、よい質問だと言える(テレビ番組ではそう識者が指摘している)

 官房長官の記者会見はどうあるべきか。官房長官と記者との質問のやり取りを行なうのにおいて、創造性のあるものであることがのぞましい。その点でいまの与党による政権は、創造性を欠いていると言わざるをえない。

 官房長官は、記者からの質問にたいして、事実ではないとか事実の誤認だとか言うが、事実かどうかを政権が決める権利があるとは見なしづらい。事実かどうかを決める権利が政権にあるというのは政権のごう慢やおごりだ。国民の相対の多数から選ばれているからといって、いまの政権はたんなる一時的な時の権力にすぎない。

 政権が一〇〇パーセント悪くて、記者が一〇〇パーセント正しいというのではないにしても、政権は自分たちの立ち場によっているので、認知の歪みが大きくはたらく。事実かどうかを見るさいに中立になるとは言えず、意図や思わくが入りこむ。

 人間は完ぺきな合理性を持っているものではないから、まちがいをおかすことをまぬがれない。まちがいをおかすことをあらかじめ見こしておくようにして、他からの批判にたいして開かれるようにしておく。他からの批判を受けつけず、閉じてしまい、まちがいがないとするのであれば、政権は権威化して教条(ドグマ)化することになる。

 いまの与党による政権が、政権をになって行くことは、国民の益ということからするとそこまで大したことではないだろう。いまの与党による政権に都合がよいかどうかというのは脇に置いておいて、国民の益ということからすると、創造性があってかつ開かれたやり取りが記者会見において行なわれるようになればよい。根源としてどういったあり方がよいかを探って、(批判や提言を含めた)さまざまな資源をできるだけ広く多く活用するのでないと、きわめて不十分なあり方になることにとどまる。

 いちばん大事なことは、国民にとって益になるにはどうするかということなのだから、その点については、政権(官房長官)と記者とのあいだで価値や目標を共有することはできるものだろう。その点(原点)において価値や目標を共有することを重んじて、信頼をお互いに持ちながらやり合うようにすれば、生産的なものになりやすい。いまの政権やいまの与党は、強者なのだから、自分たちに忖度しない記者を自分たちにとっての敵だと見なすのはやめるようにするべきである。

 参照文献 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『質問する力』大前研一 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『信頼学の教室』中谷内一也