いまの与党に見られる、温故(ふり返り)と知新(前望)の不十分さがある(温故の不十分さが、前望のおかしさやできてなさにつながっている)

 野党の議員が国会においてタブレット端末を使うことを求めた。与党はそれをこばんだという。前例がないことから認められないという。このことを温故知新主義から見ると、与党のあり方には知新が足りていないと見られる。

 温故はふり返り(レトロスペクティブ)で、知新は前望(プロスペクティブ)とすると、前例がないというのは後ろへの少しのふり返りによっているのであって、これからの新しいあり方をどうするのかの前望がとれているとは言えそうにない。

 前例による後ろへのふり返りは、しっかりとよく後ろをふり返っていることにはならないのがある。前例によるのは慣習によるだけなので、少しのふり返りしかできていない。たんに前例がないから駄目だとするのではなくて、しっかりと後ろをふり返り、しっかりと前をのぞんで、どういうあり方がのぞましいのかを見て行く。与党はそれができていないようだから、きちんとやってもらいたいものだ。

 参照文献 『歴史という教養』片山杜秀 「新しいということ」(「青年心理」一九八七年三月号)今村仁司 『正しさとは何か』高田明