韓国疲れだということだが、そんなことで国や国民の安全をしっかりと守れるのだろうか(色々な点で心配だ)

 韓国疲れだ。防衛省の関係者は、韓国とのいざこざ(もめごと)によって、疲れたのだとこぼしているという。

 疲れることを場合分けしてみることができるとすると、疲れることと疲れないことと、意味のあることと意味のないことに分けられる。このうちで、防衛省が疲れてしまっているのは、疲れていて意味がないのではないだろうか。もし疲れていて意味があるのであればさわやか疲労だが、そうではなく疲れていて意味がないのならぐったり疲労だ。

 韓国とのもめごとがおきたさいに、そのはじめの方で、できるだけ日本が疲れないような形で片づけて行く方向性があっただろう。ことを荒立てないようにして、できるだけ穏便にすませるようにして行く。円満になる方向にできるだけ早く持って行くようにする。そういったことをせずに、ことを荒立てて行くことを選んだのであれば、韓国とのあいだで対立がきわ立つことになる。

 いまの首相による政権の意向が働いているのかもしれないが、防衛省は、韓国とのもめごとにおいて、自分たちから疲れる方向へ向かっているのではないか。自分たちで、あるていどは疲れないようにする方向へ向かわせることもできたのではないだろうか。そこを反省するようにしたい。

 疲れることになったのは自分たちのせいでもあるということを見たり、疲れることに意味があったのかを見たり、やり方しだいでは疲れることを避けられたのではないかを見たりすれば、これから先に同じようになることを多少は避けやすくなる。

 参照文献 『疲労とつきあう』飯島裕一