韓国とけんかをしている場合ではないのではないだろうか(ほかにも深刻な問題が山積している)

 韓国とのけんかに勝つにはどうするか。韓国と日本とのあいだで色々なもめごとがおきてしまっている。これを何とかするために、日本が韓国とのけんかで勝つにはどうしたらよいのか。負けないためにはどうするのがよいかということが言われている。

 けんかをして勝つか負けるかというよりは、それとはちがうことをするようにしたい。けんかをするのではなくて、社会関係(パブリック・リレーションズ)や問題解決や危機管理や討論といったことをするようにしたい。

 どちらかが勝ってどちらかが負けるということであれば、ゼロ和または固定和となる。それとはちがい、どちらにとっても益になったり、益を広げたりするような方向にもって行く。非ゼロ和や非固定和のあり方だ。易しいことではないが、そのほうが日本の国の益になるのではないだろうか。

 たんに日本が正しいとして、韓国がまちがっているとするのではなくて、視点を引き上げて行くようにする。なぜそうなのかというふうに問いかける形で見て行くようにして、気づく範囲を広げて行く。気づく範囲がせまくならないようにする。日本が正しいということにたいする反対の意見をこばまずに、受け入れるようにする。

 人間には合理性の限界がつきものだ。限定された合理性をもつ。完ぺきな合理性を持たないのだから、不完全であることを見こすようにして、他からの批判を受け入れる形での批判的合理主義をとるようにする。

 他からの批判というのだけではなくて、自分たちで自分たちを批判することができる。事実があって、それを自分たちで意味づけして、それで自分たちの見かたが形づくられる。その見かたにたいして、本当はちがうのではないかと批判を投げかけて、それによって見かたが変わることで、より事実に近づいた見かたがとれることがある。

 事実を見るさいに、それを意味づけする色めがねがあるが、その色めがねが偏っていることは少なくない。色めがねが偏るのは、それぞれの人はそれぞれの特定の立ち場に立っているからだ。中立というのではない。客観のことを言うのではなく、意図が少なからず入りこむ。

 こうだからこうだといったように、ものごとを推論するさいには、まったく偏らないようにはなりづらい。日本という国にたいして自尊心を持っていることによって、推論が偏ったり歪んだりする。偏りや歪みがまったくおきていないとは見なしづらい。

 日本には日本の愛国(自己保存)がある。韓国には韓国の愛国(自己保存)がある。日本からすると、自国である日本への愛国はあるが、他国である韓国への軽べつをもつ。こうなってしまうとまずい。お互いに軽べつをし合うのではなくて、できるだけ尊敬の念を持ち合うように持って行きたい。少なくとも、日本の政治家や役人が、いくら国内での受けがよいからといって、隣国への軽べつをそそのかすのはやめるようにしたい。

 日本の政治家や役人は、日本への愛国(自己保存)にかまけるのではなくて、隣国などとおり合いをつけることができてはじめて仕事をやったと見なすことができる。たんに日本への愛国(自己保存)にかまけるだけでは駄目だし、危ないことであって、日本の国や人を防衛したり安全にしたりすることにはつながらず、逆にはたらくことが少なくない。

 日本への愛国(自己保存)をするのは、国どうしがぶつかり合う自然状態(戦争状態)の解決にはならず、むしろ悪化しかねない。どちらかというと愛(や尊敬)は自ではなく他へ向けるほうがふさわしい(難しいものではあるが)。ものごとをはきちがえないことを政治家や役人にはのぞみたい。

 日本はかつて愛国(自己保存)によって戦争につき進んで行って盛大に失敗した。かつてのこの失敗がいまにおいて生かされているとは見なしづらい。ことわざで言う、のど元過ぎれば熱さ忘れるになっているとしたら、失敗情報が活用されていないことになる。かつての失敗が知識化されて情報として生かされることをのぞみたい。忘却するのではなく想起するのは有益だ。

 けんかをするとはいっても、子どものけんかのような低い次元のことをしてもあまり意味はない。子どもじみたけんかをする代わりに、民間の自動車会社であるトヨタ自動車で行なわれているように、あることについて、それを改めるために、なぜなのかといった問いかけを何回もくり返し投げかけることを行なう。原因の特定が日本と韓国のどちらにあるのかを見て行く。行動の主体である日本や韓国(の内)に原因があるのか、それともその外の環境に原因があるのかがある。

 韓国と日本とのあいだで、ぶつかり合いになりかねなかったり、危機がおきかねなかったりする。危うくそうしたことがおきかけた。そこに問題の所在があるのではないだろうか。そうだとすれば、危うくぶつかり合いなどのまずいことがおきかねないのを避けられるようにすればよい。それがおきないように、再発防止などの手を打つ。

 韓国は事実を認めないで、かたくなでありつづけることによって、日本とは仲たがいのようになってしまっている。日本は正しいが、韓国はまちがっている。日本の国としてはこういった見かたをしているわけだが、これでは日本は国としてやるべき仕事をしているとは見なしづらい。政治家や役人のやるべき仕事は、日本の国や人を防衛して安全にすることなのにも関わらず、隣国との対立を深めて敵対してしまってどうするのだろう。

 日本の国がやるべき仕事は、韓国がいかに事実を認めないかを言い立てることではなくて、韓国とのあいだで危ないことがおきかねないのをいかに防ぐかだろう。少しでも摩擦を減らす。それが絶対にできないとは言い切れない。日本の国が使える内外のあらゆる資源(リソース)をすべて動員して使えばよいのだし、やる気や動機づけをしっかりと持ってもらいたいものだ。いまのところ、持っている資源を不十分にしか使っていないし、やる気や動機づけを持っているとは見なせない。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編著 『図解雑学 失敗学』畑村洋太郎 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『象の鼻としっぽ』細谷功 『自己変革の心理学 論理療法入門』伊藤順康 『考えることの科学』市川伸一