自己責任の縮小と拡大

 自己責任を縮小させる。自己が最終の単位ではないとすると、それをもっと縮小させて、器官でいうと脳責任とできるかもしれない。脳では前頭葉は、会社の地位でいうと社長に当たるという。前頭葉責任になる。脳の一つひとつの細胞に責任があるとすると、脳細胞責任となる。

 細胞の一般ということでは、細胞責任がある。細胞は原子から成り立っているから、原子責任もあるだろう。もっとさかのぼれば、素粒子責任というのがあるかもしれない。

 思想家のカール・マルクスは、ある人の意識は社会によって規定される、と言っている。そうしてみると、自己責任を拡大させられる。ある人の意識は社会に規定されるのがあるとすると、社会責任または世間責任が成り立つ。社会責任を広げると世界責任や地球責任があるとできる。もっと広げると宇宙責任となる。虚空責任もある。

 仏教では、一切が空だと言われるのがある。(自己)責任というのも空だと見なすことが見かたによっては成り立つ。これはそう見なすことも見かたによってはできるというものであって、絶対の真理とまでは言えないかもしれない。

 一切が空だというのは空観とされる。そのほかに仮観や中観というのもあるという。空観を無(ニヒト)とすると、仮観は有(ザイン)とでき、中観は生成(ヴェルデン)とできるかもしれない。自己責任は無でもあり有でもあり、生成されるものだと見なせる。自己責任とするべきだというかくあるべきの当為(ゾルレン)がとられるが、それがまちがいなくふさわしいとは必ずしも言えそうにない。

 参照文献 『人生のほんとう』池田晶子