元宮司の人と靖国神社とのあいだで見かたが異なっているようだ

 靖国神社宮司だった人が、持論を言う。それについて、それとはちがう見かたを靖国神社は言っている。宮司だった人と靖国神社とのあいだで、ちがう見かたがとられているようだ。論壇 net のサイトを見てのものである。

 なぜ祭神や神霊を祀るのかということで、宮司だった人は、祟らないように祀るのだという。いっぽうで靖国神社は、日本のさらなる発展と平和につなげるために祀るのだとしている。

 靖国神社の外に祭神や神霊はいないのだと宮司だった人は言う。いっぽうで靖国神社は、みたまがいるところは靖国神社に限られないとしている。亡くなった人の縁のあったところにはどこにでもいるとして、さらに祈りの中にもいるのだという。

 宮司だった人と靖国神社のそれぞれにおいて、日本の神道というのだけではなくて、ほかの色々なものが混ざり合っているのがある。御霊(ごりょう)信仰や、汎神論(アニミズム)や、中国で発祥した儒教からの影響がうかがえる。このうちで、儒教を一つとっても、純粋なものとは言えず、その中には仏教などの色々なものが混ざり合っているのだという。

 宮司だった人や靖国神社がとっているのは、主として日本の神道なのかもしれないが、知らないうちにほかの色々なものが混ざり合っているのではないだろうか。そこまできわ立った個性や特色があるのではなくて、色々なものからの影響が雑居しているように見られる。