負の国家主義と、国家主義の負の面

 負の国家主義(ナショナリズム)がある。外部に敵をつくって、内部でまとまろうとするものだという。国家主義に負のもの(負の国家主義)があるというよりは、国家主義には正と負の二つの面があるということができそうだ。

 国家主義の負の面と、友敵理論が組み合わさることで、友(味方)と敵との分断線が引かれてしまう。外部に敵をつくるというよりは、国家の内部において、友と敵とのあいだに分断線が引かれる。そのまずさがある。

 わかりやすいものでは、国家主義の負の面として、国民と非国民を分けるものがある。これは戦前や戦時中においてとられたものだ。国民にそぐわない者を非国民とする。友と敵として国家主義による分断線を引いているのだ。

 国家主義には負の面だけではなくて、正の面もあるから、何から何まで駄目だということは言えそうにない。国家をなくせということで、無政府主義(アナーキズム)をとることは、現実としては難しい。国家には正の面もあるが、近代における大きな物語(共同幻想)としての国家がうまく行きづらくなっていて、立ち行かなくなってきているのはいなめない。

 近代における大きな物語としての国家がうまく行きづらくなっているのは、労働(労働という大きな物語)においてのものがある。労働では、貧困におちいる労働者(ワーキングプア)の人たちが多くおきてきている。ほんらい、近代の国家や社会において、貧困におちいる労働者はいてはならないものだが、そうであるのにも関わらず、いまの世の中ではそれが数多くおきてしまっている。新しい貧困(ニュー・プア)と格差がおきているのだ。これは、社会学者のジグムント・バウマン氏が言っていることだという。

 国家主義がもつ負の面を抑えるようにするためには、集団への帰属(アイデンティティ)だけではなくて、そこから距離をとって離れるものである個性(パーソナリティ)も許されるような、寛容さがあることがのぞましい。何々への自由である積極的自由だけではなくて、何々からの自由である消極的自由がないがしろにされないようにしたい。いまの日本では、同化圧力(ピア・プレッシャー)による集団への帰属や、積極的自由が重みを持ってしまっていて、個性や消極的自由への寛容さがそこなわれていると見うけられる。

 参照文献 (アイデンティティとパーソナリティについて)『半日の客 一夜の友』丸谷才一 山崎正和ナショナリズムカニバリズム」(「現代思想」一九九一年二月号)今村仁司