賛成か反対(批判)かにおける、どちらかだけが唯一として正しいという、大きな物語にたいする批判(必然性の大きな物語ではなくて、可能性の小さな物語として、それぞれの人の自由な自己決定に任せるのがよいのではないだろうか)

 賛成か反対かがある。批判をするのは、反対をすることである。賛成しているのではない。賛成していなくて、反対(批判)するのとは別に、賛成を批判することができる。賛成することを批判として見るものである。

 賛成することは、必ずしも悪いことではない。賛成しすぎると悪くなることがある。賛成しすぎると、賛成するものと距離がとりづらくなる。よいも悪いもいっしょくたによしとしてしまう。賛成するにしても、しすぎるのではなくて、よいところはよくて、悪いところは悪い、とできれば言うべきではないか。

 賛成か反対かでは、選択肢が二つしかない。選択肢が少なすぎるので、それを批判することができる。全面として賛成や、全面として反対があるとして、そこまで行かないものもある。度合いとして、ほどほどに賛成やほどほどに反対がある。こうであれば賛成や、こうであれば反対というのがある。無条件であるものを賛成や反対するのではないものだ。

 賛成でもあり反対でもあるというのは、煮え切らないものだ。賛成と反対を決めかねているのもまたそうだ。賛成するか反対するかを留保するのはあってよいことだが、もしも賛成(または反対)するべきものなのにも関わらず、賛成も反対もしないのであれば、機会を失うことになるので、まずいことだと見ることができる。判断を留保するのもまた一つの判断である。

 批判をしすぎるとしても、ときにはそれがよいことがある。賛成をしすぎるのは、悪いことがなくはない。批判をしすぎるのはいついかなるさいにもよいことだとは言えないが、賛成しすぎるのは悪いことがあるから、それに批判を投げかけることができる。

 全面として賛成や反対ではなくて、ほどほどにというのであれば、それは逆であることでもある。ほどほどに賛成なのであれば、ほどほどに反対とも言える。その逆も成り立つ。賛成の反対は反対であって、反対の反対は賛成だ。ほどほどに賛成を表とすれば、それをうら返すと(ちがったふうに言い換えれば)、ほどほどに反対となる。

 全面として賛成や反対というのは、絶対にまちがっているとは言えないにせよ、正しくないことがなくはない。ものごとは必ずしも確実ではないので、どうであったとしても(それがそれである限りで)確実に賛成とか反対とかはなかなか言えるものではない。どうであったとしても、それがそれである限りで賛成や反対というのなら、それは無条件で賛成や反対と言うに等しい。時の政権に無条件で賛成するのであれば、時の政権が何をやろうとも、地位にいつづける限りにおいて賛成するということだ。

 ものごとが一面しか持っていないのであれば、確実に賛成とか反対とか言うことができるかもしれない。一面ではなくて二面を持っているのであれば、二面ともに反対とはなりづらい。一面を単純として、二面を複雑とすると、もし二面を持っているのであれば、単純に賛成や反対とはすっぱりと割り切れないものだ。

 全面としてではなくて、ほどほどに賛成や反対というのであれば、無条件で賛成や反対をするのではない。ほどほどに賛成や反対をするのであれば、(反対や賛成をするものから)距離がとれている。ほどほどにであれば、表は賛成でも、うら返せば(言い換えれば)反対であって、その逆も成り立つ。そこまで隔たったものではないから、まったく断絶しているとは言えず、すり合わせることがやりやすい。

 全面として反対(批判)するのが悪いのであれば、全面として賛成することもまた悪いのではないか。どちらも無条件で賛成や反対をするので、それがよくないことがある。反対(批判)ばかりするのがよくないとしても、それであるのなら、それと同じこととして、賛成ばかりするのまたよくないとするのでないとおかしい。片方だけではなくて、どちらも駄目だとするのであれば、つじつまが合う。賛成ばかりするのが許されるのであれば、反対ばかりするのも許されてよい。

 全面として賛成や反対をするのは、絶対に賛成や反対をすることだ。この絶対というのをとらないようにして、相対化するようにすると、相対的に賛成や反対になる。相対的にであれば、賛成という表にたいして、それをうら返す(言い換える)と、反対ということになる。その逆も成り立つ。賛成と反対ということに、そこまで大きなちがいはなくなる。

 賛成と反対は関係し合っているものなので、そのあいだにある分類線の揺らぎがおきる。賛成することは全面としてよいとは言い切れないし、反対することは全面として悪いとは言いがたい。賛成するからよいとは言えないし、反対するから悪いとは言えない。賛成するのがよいのか、それとも反対するのがよいのか。賛成するのがよくて、反対するのが悪い、というのは大きな物語だ。それは成り立ちづらい。賛成するか、それとも反対するかは、どちらがよいとか正しいとかは言い切れず、小さな物語であって、自己決定に任されている。

 参照文献 『構造主義がよ~くわかる本』高田明