全世代型の社会保障の元年にするといっても、その財源の具体の裏づけはどこにあるのかがあやしい(本当にやる気があるのなら否定はしないが)

 全世代型の社会保障をなす元年にしたい。そのための財源として消費税の増税があげられる。首相はテレビ番組においてそう言っていた。首相が言うことには、個人としてそこまでおかしいという気はしない。首相が本気で社会保障を充実させるかはきわめてあやしいが(うわべだけであって、本当にはやる気はないのではないか)。

 消費税を上げることには根づよい反対の声がある。そこは無視することができないところだ。消費税を上げることが、どこからどう見てもまちがいなく正しいということは言えそうにない。個人としては、絶対に上げるのは駄目だというのではなく、一つには上げることも有りだというのはある。

 消費税に限らず、たいていは利点と欠点や表と裏があるので、利点だけとか欠点だけというのはあまり考えづらい。消費税を増税するのがよいと言ってしまうと、財務省などのまわし者(関係者)だという陰謀理論の見かたがとられてしまうかもしれない。よいならよいとか、悪いなら悪いとだけしてしまうと、仕立て上げることになるので、それには気をつけたい。

 全世代型の社会保障を行なう元年にしたいと首相は言う。そうであるのなら、生きるうえで苦しむことが避けられなくなっている、生活に困窮している人たちへの目くばりをとるようにしてほしい。社会の中で、何らかの理由で生活に困窮している人たちや少数者への温かい目くばりが足りていない。冷たい目が注がれてしまっている。

 元年にしたいと首相が言うことを受けて、もしそうすることを本当に進めるのであれば、意識が変わってくれればよい。少数者などが生活に困っているのは、その人がいたらないからだというふうには見ないようにしたい。冷たい目を注ぐことが改まって、温かい目くばりができるようになれば、意識が変わることになる。

 意識を変えるだけでは足りず、経済の物理の助けがいることはまちがいない。経済の物質の下部構造とともに、意識である上部構造も温かいものになることで、人々が住みやすい世の中になればよいことだ。いまの与党にはほとんどのぞみは持てないが、誰(どの政治家や政党)が担ってくれてもとくにかまわないものだ。

 市場に任せればすべてがうまく行くということで、駄目なのはその人の自己責任とするような、新自由主義(ネオ・リベラリズム)の行きすぎがあるとすると、それが何とか改まってほしい。市場に任せることで、市場の失敗がおきて、経済の格差や搾取や抑圧が強くなっている。権力をになう政治家が賢くないことによって政府の失敗も合わせておきている。

 新自由主義は軍事との結びつきもあるという。軍事に力を入れて、アメリカから高額の軍事の兵器を押しつけられて買わされている場合ではない。軍事にお金と力を注ぎつつ、社会保障にも力を入れるというのは、矛盾していると言わざるをえない。使えるお金は有限のはずだ。軍事(殺害生産力)は死んだお金の使い方となるもので、社会保障や福祉は生きたお金の使い方になるのだと言いたい。