都合のよいときだけ、決まりを守ることが大切だと言っても、恣意の印象をまぬがれない

 国際的な決まりを守らなければ、短期的には得になって、損にはならないことがある。しかし中長期としては損がおきる。首相はテレビ番組においてそう言っていた。みんなでつくった決まりをみんなで守っていかなければならないとして、決まりを無視すればジャングルと同じであるとしている。

 首相の言っていることは、建て前としてはうなずけるものだが、引っかかるところがある。それは、国際的な決まりということで言っているところだ。これは国内においてもまた同じことが言えるものである。首相が言う国際法遵守というのは、決まりを守るべきだという文脈で言えば、憲法遵守(または法律遵守)にそのまま置き換えられる。日本の国内で決まりが十分に守られていないと、説得性がそこまでない。

 日本の国内で、憲法や法律などの決まりが徹底して守られているのであれば、日本の中で人々はもっとずっと住みやすくなっているはずだが、じっさいにはそうはなっていない。憲法を無視したり、違法なことをしたりするのがまかり通っているのだ。強者が決まりを守っていないことがある。そのために、少なからぬ人々は生きては行きづらくなっていて、がまんを強いられている。労働においては、決まりが守られていないことがおきていて、少なくない数の労働者の人格が不当にいちじるしくないがしろになっているありさまだ。

 改めて見ると、首相の言っている、決まりは守らないとならないというのは、難しいところもある。決まりは守らないとならないというのは、虚構だというところがないではないものだ。なぜ決まりを守らないといけないのかという問いかけを投げられたら、うまく答えづらい。とにかく守らないといけないのだというような答え方にならざるをえない。

 決まりだから守られないといけないかというと、必ずしもそうではないのがある。現実においては、杓子定規ではなくて、幅をもたせて融通をきかせたほうがよいことがある。何々を禁じるという決まりがあったとしても、それを文字通りに守るのではなくて、多少は破ることになっていても、それで現実として成り立つことがある。たとえば、自動車の運転では、制限速度はそこまで数字通りにきっちりとは守られていない。

 決まりを守るとしても、その決まりは強者に有利なようであってはならず、弱者に十分なおもんばかりがあるものなのが理想だ。決まりを守っているとしても、強者に有利で弱者に不利になっているとすれば、改められるのがのぞましい。いままさに時代にそぐう決まりなのか(時代とずれてしまっていないか)というところも見すごせない。

 そういう決まりになっているから、というのは、必ずしも絶対の理由になるとは言い切れない。これまでにおいてそういう決まりになっているから、決まりの通りにやるのが正しいのだということは必ずしも導かれないものだ。内部の決まりとして、いじめを行なうことをそそのかすようなものがあるとしたら、それを守るのではなく破ったほうが正しくなる。

 国際的なことでは、それぞれの国が置かれている状況がちがうのは無視できそうにない。国際的な決まりを守るか守らないかという点とは別に、力をもつ大国がでたらめなことをしてきているのはまちがったことだろう。そこがもっととり上げられてよいのがある。まちがったことをやってきているアメリカという大国の後ろにくっついて行っているのが日本だ。とくに模範となる優等生とは言えないのがある。日本の国の権力が自立して平和を目ざしているとは言いがたい。その逆に向かってつっ走ろうとしている。

 国際的な決まりがすべて正しいのであれば、日本はすべての国際的な決まりや条約をとり入れていてもよいはずだが、そうはしていない。たとえば、世界で核兵器を持ったり使ったりするのを禁じる国際的な条約の成立にたいして、日本の政府は反対をしたし、それをとり入れてはいない。国際的なよい決まりであるのにも関わらず、日本の政府は(世界で唯一の被爆国であるのに)それをよしとするのを拒んでいるのだ。

 たとえ国際的な決まりがあったとしても、世界はジャングルのようなところがないではない。国際的な決まりを守ることはいるものだが、それだけでは十分ではない。世界がジャングルであるのをどう乗り越えるかはまた別に何とかしなくてはいけないことがらだろう。国際連合はあるものの、世界政府というものはないので、世界はジャングルのあり方からまだ脱せていない。国という怪獣(ビヒモス)がしのぎを削っているあり方になっている。