お金を出しているスポンサーが、お金をもうけるためには、よけいなことを言ってほしくはないだろうが、(議論が深まることで)社会がよくなる方向に向かえるのであれば、社会にとってはよいことなのではないか

 テレビの広告のコマーシャルをいくつも抱えている芸能人が、政治の発言をする。それは広告のお金を出しているスポンサーからするとたいへんに迷惑だからやめてもらいたい。

 テレビのコマーシャルに一つもしくはいくつも出ている芸能人は、意見が分かれるようなことがらの政治の発言はしないほうがよい。もしするのであれば、スポンサーとしては、その芸能人をコマーシャルから降ろす自由がある。スポンサーに当たる人は、テレビ番組の中でそう言っていた。

 このことをかんたんに言うことができるとすると、テレビのコマーシャルにお金を出すスポンサーは、自分たちの商品を少しでも多く売りたいのがある。そのために芸能人をコマーシャルで使う。そこには、経済による期待の思わくがはたらく。その期待に反するようなことを芸能人にはやってもらいたくない。期待を裏切ってはもらいたくないのだ。

 極端な話で言えば、いくらテレビのコマーシャルに出ている芸能人であったとしても、仕事や私生活でずっと黙りっぱなしでいるわけには行きづらい。仕事や私生活で、何か話す機会はいくつもあるはずだ。芸能人が色々なことについて何を思うかの自由はあるはずだし、それを言う自由がないとは言えそうにない。

 たとえば、テレビのコマーシャルに出ている芸能人が、憲法をよしとして守るのはよいことだ、と言ったとしたら、それは政治の発言に当たるだろうけど、そんなにいけないことなのだろうか。とくにおかしな発言とは言えず、ごく普通の発言だと言えるところがある。というのも、一般として言えば、憲法をよしとして守るのはごく普通のことだからだ。

 憲法の話でいうと、憲法を守るのがよいか、それとも変えるのがよいかは、意見が分かれている。それは確かにあるが、その文脈が一つあるだけなのではない。それとはちがう文脈として、一般として言えば、憲法をよしとして守るのはごく普通のことであって、とくにおかしなことではない。そういう文脈としてであれば、政治の発言であるからといって、とくにまずくはないものだという見かたが成り立つ。どういうふうに受けとられるかは定かとは言えないかもしれないが。

 沖縄県に新しく建てるアメリカの軍事基地の話では、それを建てることによって自然の環境が壊されるので、自然を守るために、建てるのはやめたほうがよいとするのは、政治の話といえばそう言えるが、そうではないということも言える。政治の話としては意見が分かれているかもしれないが、自然を壊すよりは守ったほうがよいというのについては、そこまでおかしな感覚によるものとは言えそうにない。

 コマーシャルに出ている芸能人が、政治の発言をするとして、それが政治の話とも言えるし、そうではないというのも成り立つ。芸能人が政治の話をしたということになって、それでコマーシャルにお金を出したスポンサーは、何らかの形で損をこうむることがないではないかもしれない。しかし、スポンサーが使ったお金が社会として死んだお金になったとは必ずしも言えないのではないか。

 じっさいに、芸能人の政治の発言によって、スポンサーが売ろうとしている商品の売り上げが落ちたかどうかをよく見ることがいるし、かりに落ちたとしても、それと芸能人の政治の発言に因果関係があるかはそこまではっきりとはしないのではないか。原因と結果の因果関係が成り立つかは、ほかにも売り上げが落ちたことの原因があるかもしれないから、色々と見て行くことができる。

 芸能人が政治の発言をしたことによって、その芸能人(または芸能人一般)が政治の発言をするべきか、それともしないでいるべきかの論点がとられる。その論点とは別に、ちがうものとして、芸能人の政治の発言がとり沙汰されたのであれば、その政治の発言で言われていることについて、国民のあいだで議論が活性化するようになればよい。議論が深まるような方向に向かってほしい。

 政治のことがらが国民のあいだで議論されて、活性化するにしても、意見が分かれているのだから、そのことに芸能人が発言で触れたことによって、その芸能人をコマーシャルで使ったスポンサーは金銭として損をこうむるかもしれない。しかしスポンサーは社会としてよいことをしたとも言える。

 企業というのは、お金もうけを目ざすのはあるだろうが、社会の意義をもっているのもまたある。自分たちが使っている芸能人がもつ政治の発言をする権利をうばってまでも、お金もうけをすることが大事なのだろうか。正しさということでは、お金をもうけることとは別のものもまたある。それをうながすのもまたよいことだろう。お金もうけとの両立は難しいかもしれないし、甘いことを言っているのはあるだろうが、芸能人の政治その他の発言をする権利を一切うばってしまってまでも、お金もうけをとるのは、豊かさとは言えないような気がしてならない。