首相夫人と国母と公私

 国母として生きる。記事によると首相の夫人はそう言っていたという。夫人の言う国母というのはいったいどういう意味なのだろうか。そんな言葉があるのかが、個人としては分からないところだ。何か特定の(保守などによる)思想からの影響で言ったものかもしれない。

 夫人が国母であるとして、なおかつ私人と閣議決定がされているが、これは変だという気がはじめにしたが、夫人が国母の志があると言ったのは、二〇一三年のことのようだ。私人であるという閣議決定はそのごに行なわれているから、国母であるという志をやめたのかもしれない。国母というからには、公人である(あった)のがふさわしいだろうし、もし私人であるのなら国母とは言えそうにない。