自虐思想や史観や、反日や売国や左派(パヨク)と言われることにおける、熱(感情や行動や想像)と冷(俯瞰)によるメタ認知

 自虐思想を改める。自虐思想や史観をなくして行く。日本をおとしめるようなものをとらないようにして、日本をよしとするようなものをとって行くようにする。日本をおとしめるような反日売国や左派(パヨク)がはびこらないようにする。

 日本をよしとするために、日本をおとしめるような自虐思想や史観をとらないようにして、反日売国や左派がはびこらないようにするのは、熱に当たるものだ。この熱とは別に、冷によるものをとることができる。熱だけでは偏りがあるので、冷をとることは欠かせない。

 冷をとるのは、じっさいに日本をよしとするのや、日本をおとしめるのをなくして行く(減らして行く)動きをとるものではない。じっさいの動きをとるのは熱である。冷によるのは、じっさいの動きではなく、語句やその意味を見て行くものだ。語句は表象(リプレゼンテーション)や観念であって、それがさし示すものそのものではない。

 自虐思想や史観や、反日売国や左派の語句があるが、これらがさし示すものは自明なものとは言いがたい。日本という国もまた自明とは言いがたい。それらの語句がさし示すものを改めて見て行くようにする。

 改めて見るのをやらないで、ただたんに自虐思想や史観や、反日売国や左派と言うのだと、何がそれに当たるのかが確かではない。確かではないままだと、知らないうちに自分が自虐思想や史観や、反日売国や左派に当たっていることになりかねない。

 意図せずに、結果として自虐になることはある。結果として反日売国や左派になることもある。意図していなくても、たまたま結果として自虐の条件や定義に当てはまることはあるし、反日売国や左派に当てはまることはあるから、それに当てはまる必要条件(何々でないとならない)および十分条件(何々であればよい)がどうなのかがある。どういった性格づけや価値づけがとられているかだ。

 自虐思想や史観や、反日売国や左派に当てはまるかどうかは、そう言われているものがまさに当てはまっているとは必ずしも言うことはできそうにない。たんにそう言われているだけで、本当は当てはまっていないことがあるし、まったく言われていないけどじつは(隠れて)当てはまっていることがある。

 自虐思想や史観と言われたり、反日売国や左派と言われたりしているものが、じつはよくよく見ればそうではないことがあるし、まったくそう言われてはいないものが、じつはよくよく見ればそうだったということはないではない。攻撃は最大の防御(隠れみの)だというのがある。熱だけではなく冷として見れば、そうしたことがおきてくる。