アメリカでは、子どもたちが自国の歴史を学んで、アメリカのことが好きになる。アメリカの人の一人はそう言っている。それを受けて、アメリカのように、子どもたちが自国のことを好きになるような歴史を、同じように日本でもあらわせないかとする。
アメリカの歴史を学んで、子どもたちがアメリカのことを好きになるのだとしても、それが正しいことだとは必ずしも言えそうにない。アメリカの国の虚偽意識(イデオロギー)による呼びかけに、子どもたちが素直に従ってしまっているだけだという見かたが成り立つ。
アメリカの国による虚偽意識の呼びかけに従わずに、素直には受けとらないのが正しいことがある。子どもたちが学ぶことによって、自国であるアメリカが好きになるような歴史は正しいとは限らない。そこから排除されているものが正しい歴史だということがある。
自国であるアメリカが好きになるということは、アメリカはよいことをしたということになるが、アメリカはこれまでに悪いことを(も)してきているのは疑いがない。それは歴史の状況の流れによってやむをえずというのもないではないだろうけど、すべてを歴史の状況の流れによるせいにするわけには行かない。
子どもたちが、自国であるアメリカの歴史を学ぶことで、アメリカのことを好きになるからといって、それがアメリカのこれまで歩んできた現実とぴったりと合っているとは言えないものだ。アメリカが行なってきたことで犠牲になった数々の人たちが、自国の中や他国には少なくない。その負の痕跡が残されたところに歴史というのはあるのではないだろうか。これはアメリカに限ったことではなく、アメリカほどの大国ではないにせよ、日本にも当てはまることだろう。