くじらは日本の食文化だということだが、そんなに高い必要性のあることなのかが個人としてはいぶかしい

 くじらを食べるという日本の食文化がある。それについて、他の国が日本にたいして文句を言ったり、高圧的な態度に出たりする。日本にたいして文句を言ってくる国があることが理解できない。与党である自由民主党の議員はそう言う。

 国際捕鯨委員会(IWC)の脱退も辞さないと日本は警告したが、他の国にはそれが一顧だにされなかった。日本の言うことが聞き入れられないことから、断固とした態度で会を脱退する決意だと自民党の議員は言う。

 自民党の議員は重ねてこう言っている。国際社会が日本のためにこぞって協力してくれるとは期待していない。日本にたいする理解や了解をもっと得られるようにしていかなければならない、としている。

 くじらを捕ったり食べたりするのは日本の(食)文化なのだということだが、それを根拠にして、くじらを捕ったり食べたりするのをよしとするのは、そんなに話の水準が高いことだとは言えそうにない。したがって、他の国に理解されるようなものだとは見なしづらい。

 くじらが日本の食文化であるのだとしても、そのことを根拠にして、他の国がそれを認めてくれるとはならないだろう。たんに日本の食文化ということだけで他の国が認めてくれることは考えづらい。自民党の議員は、他の国が認めてくれずに文句を言ってくることについて、理解できないとしているが、個人としては、自民党の議員の言い分がもうひとつ理解できない。

 日本の(食)文化といっても、その中にはよいものや悪いものがあるのだから、大手を振って自分たちの文化をやってよいということにはならないだろう。他の国が認めずに文句を言ってくるのであれば、それを受けとめるようにして、折り合いをつけられればのぞましい。理想論ではあるが。

 日本のくじらにたいするあり方を、他の国が理解してくれることを期待していないと自民党の議員は言うが、それは当たり前のことだろう。とくに日本の自民党の議員がやっていることが、世界の中で見て正しいことだとは言い切れないのだから、他の国の理解を期待するほうが変である。

 日本のくじらのあり方について、他の国に理解や了解を得られるようにして行くということだが、それだったら会を脱退しなければよいのであって、支離滅裂で矛盾しているように映る。会を脱退しないで、その中で他の国に理解や了解を得られるようにすればよい。日本が会を脱退したところで、くじらについて文句を言われなくなるのではないだろうし、いずれにせよ認められずに文句を言われるのであれば、さして意味があることだとは言えそうにない。