自虐思想(史観)というのではないが、明治の時代がよかったのだとすることは、いまの世の中においてよいことにつながるのだとは言えそうにない

 明治の時代はよかった。明治の時代を改めてよいものだというふうに見直す。いまの首相による政権はそういったふうなあり方をとっている。このあり方には個人としてはうなずくことができそうにない。

 じっさいに自分の目でじかに見たり、じかに聞いたりしたわけではないが、明治の時代がよかったのだとするのには待ったをかけたい。待ったをかけたいのは、明治の時代がよかったのだとしてしまうと、明治の時代の悪かったところをいまの世の中でふたたび反復してしまいかねないからだ。いまの首相による政権はそうしかねない危なさが大いにある。その危なさはすでに少なからず現実化していると見られる。

 明治の時代は、国家の公が幅をきかせていて、肥大化して行った。国家や役人が強い。そのいっぽうで個人の私は弱い。こうしたまずさがあったのではないか。このまずさがあったのだとすると、明治の時代をよしとすることによって、いまの世の中でも同じようなことが反復して行なわれてしまう。

 明治の時代をよしとするのではなく、その逆をよしとすることができる。国家の公が幅をきかせないようにする。国家や役人が強くならないようにする。個人の私が弱くならないようにして、充実させるようにする。こうすることができれば、一人ひとりの個人が生きて行きやすくなる。

 何から何まであらゆることが悪かったのではないだろうが、悪いところがあったことについては、はっきりと悪いのだと言うようにしたい。そこをあやふやにして、よかったのだと象徴化するのはしないようにしておく。批判として見るようにして、どこに失敗やまずさがあったのかを明らかにして、それをいまの世の中ではやらないようにしたほうが、過去を活かすことになる。