いまの与党の議員は、国民が権利、権利、と言うのは馬鹿ではないかと言っていたが、そのうちで言論や表現の自由はきわめて大切な権利であって、これは左派(革新)や右派(保守)に限らずどちらにもとり上げられているものである

 権利、権利、と言う。権利を求める。そのことを、馬鹿ではないかと、いまの与党である自由民主党の議員は言っていた。国民が権利を求めることを馬鹿ではないかと言うのはいただけない。

 権利を求めるのは、左派に限らず、むしろ右派もよく行なっている。自民党の議員の言うことを当てはめれば、左派も右派もどちらも馬鹿だということになってしまう。しかし現実にはそういうわけではないだろう。

 左派だけではなく右派も権利を求めるのは、言論の機会が何らかのことによってさまたげられたさいに、言論の弾圧だと抗議することに見られる。言論の弾圧だと抗議するのが当たっているかは置いておくとして、言論の自由を求めているのがある。右派の人たちが言論の弾圧だとして抗議をして、言論の自由を求めるのは、権利を要求しているのをあらわす。権利というよりもより正確には特権の要求である。

 言論や表現の自由は権利だから、それを求めるのはよいことだけど、少数者にたいする差別や憎悪表現(ヘイトスピーチ)をするのは特権に当たるだろう。この特権は権利とは区別できる。少数者にたいして差別をしたり憎悪表現をしたりするのはよくないことである。言論や表現の自由はきわめて重要であって、あったほうがよいにしても、その権利についての論点ではなく、それを行使したときの論点を見ることができる。言論や表現の自由を行使したときに、少数者にたいする差別や憎悪表現になってしまうとしたら、よくないことなので、できるだけやらないようにしたい。