外務相の受け答えにおける説明責任(アカウンタビリティ)の欠如

 つぎの質問どうぞ。記者から質問を投げかけられて、その受け答えとして外務相はそう返した。記者からの質問に答えずに、つぎの質問どうぞと言ったのを、四回ほどくり返す。ロシアとの領土をめぐる外交についての質問にたいしてである。

 外務相は記者からの質問にたいして、つぎの質問どうぞとしか返さない。それを見かねて、記者はこう質問をした。なぜ大臣はさっきから記者の質問にたいして、つぎの質問どうぞとしか答えないのか。そう質問された外務相は、それについてもまた、つぎの質問どうぞと返していた。

 記者クラブ外務相にたいして、説明責任をきちんと果たしてほしいと申し入れた。それにたいして外務相は、神妙に受け入れるとしている。神妙に受け入れるとはいったいどういうことなのだろうか。真摯(しんし)に受け入れるとか、謙虚に受け入れるというのならまだわかるが、神妙にというのはいったいどういう受け入れ方なのかが定かではないし、まともに受け入れるのかどうかもはっきりとしない。

 記者からの質問について、外務相はつぎの質問どうぞと返したが、これは国会で与党が行なっているご飯論法や信号無視話法に通ずるものだろう。

 外務相による、つぎの質問どうぞの受け答えは、直接の受け答えにはなっていない。婉曲によるものだ。記者に忖度させようとしている。空気を読ませようとしている。

 つまびらかにすることができないことがらを記者から質問されたとしても、そうならそうと答えてくれたほうがわかりやすい。答えづらいことがあるにしても、だからといって受け答えることそのものを投げてしまうのは、議論の技術を外務相が持ち合わせていないことをあらわす。外務相だけではなく与党の政権の全体に当てはまることだ。その中でも、とくにこのたびの外務相の受け答え方はまずいものだと言わざるをえない。

 婉曲の話法を用いないで、記者に忖度させず、空気を読ませないで、聞かれたことに沿うように受け答えるように努めてもらいたい。そうしてもらわないと、議論の技術を持っていることにはならない。答えられない質問だったら、それにはこういう理由があって答えられません、という返し方もできる。この返し方はとくにのぞましいものではないが、つぎの質問どうぞと返すよりは多少はましだろう。

 外務相が記者の質問にたいしてまったく答えないという答え方をしたおかげで、ことわざでいう雨降って地固まるではないが、大臣は記者からの質問にまともに向かい合って答えないとならないということが再確認されたのならよい。そうあってほしいものだ。外務相の派閥の長であるという財務相はきわめてふてぶてしいが、外務相はそこまでではなく中途半端なので、まちがった受け答えのやり方が通用しないで失敗に終わった。そう見なせる。