大学の医学部による釈明は、手段にたいするものだが、目的がどうなのかというのをはっきりとさせてほしいものだ

 受験の時点では、女性のほうが精神的な成熟が早い。意思疎通の能力も高い傾向にある。それがあるために、受験の判定の公平性を確保するために、男女間の差を補正したつもりだった。大学の医学部で、女性をひそかに減点していたことの理由として、大学側はそう言っていると報じられている。

 大学の医学部は、受験のさいに、女性の点数をひそかに減点していたという。それでとり沙汰されている。大学の医学部が行なっていたことは、積極の父権主義(パターナリズム)と見られる。これを行なうのは、たとえば男性が不当に差別されているときに、それを何とかするための手だてというのならあるだろうが、そうであるとは見なしづらい。

 現実の社会のあり方として、男性が優位であることはあっても、女性が優位であることはあまりないのではないだろうか。現実においては、男性のほうが優位になってしまっているとすれば、男性にさらに下駄を履かせるのはふさわしいことだとは言えそうにない。

 大学の医学部が言っていることにおいては、受験の時点においてとられている仮定と、そのごにおいてとられる仮定とが、どちらも信ぴょう性が確かだとは見なしづらい。受験の時点での仮定とそのごの仮定として、女性が一般としてどうとかというのと、男性が一般としてどうとかというのは、個人のそれぞれに差があることを無視している。

 受験の時点では、女性のほうが精神の成熟が早く、意思疎通の能力が高いと言うが、これは観念による思いこみになっているのではないか。ステレオタイプになっているところがある。女性であっても精神の成熟や意思疎通の能力はそれぞれでちがう。男性であってもまたそうだ。

 個人のそれぞれによってちがうし、受験の時点においてどうなのかと、そのごにどうなのかというのは、決めがたいものだ。性のちがいによって還元できるのだとは言いがたい。性のちがいを二元論ではなく連続によるものだと見ることができる。ほかの色々なことが関わってくることで決まるものだから、性のちがいによって決めるのはふさわしいとは言えそうにない。

 手段として、受験において女性の点数を減点するというのを行なっていたとして、その目的とは何だったのか。そこをはっきりとさせないとならない。目的として、男性の医師が多くなって女性の医師が少なくなるようにするのがとられていたのだとすれば、目的と手段とのつながりはあるが、とられている目的と手段はどちらも正しいことだとは言えそうにない。そこには、男性のほうが優秀だとか、男性のほうがこれまでの制度の中において都合がよいといった、まちがった前提条件がとられているのではないだろうか。