よいのと悪いの両方を見られれば理想だが、現実にはいつもできるわけではないし、できなかったとしても必ずしも悪いとは言い切れない

 ある人が一生を送る。その人について、よいところだけをとり上げればよい人に、悪いところだけをとり上げれば悪い人になる。それと同じように、国においても、悪いところだけをとり上げるのはいただけない。悪いところだけをとり上げるこれまでのあり方を改めるために、日本の国のよいところをとり上げている。そういうツイートがツイッターで言われていた。

 悪いところだけではなくよいところもとり上げるべきだ。理想としてはそれはあるだろう。しかし、こうも言えないだろうか。悪いところだけをとり上げるのは必ずしも悪くはない。よいところだけをとり上げるのは必ずしもよくはない。順説ではなく逆説(パラドックス)としてはたらくのがある。

 愛国をよしとするのであれば、それの逆をするのは反日売国となる。反日売国というのは、あり方の悪いところだけをとり上げられてしまっている。自虐史観というのもそうで、あり方の悪いところだけをとり上げられてしまっているのがある。

 ものごとの一般においては、よいところを見ればよいし、悪いところを見れば悪い。そう言えるのだとすれば、それを反日売国自虐史観とされるものにも当てはめることがいる。あり方の悪いところだけを見るのではなく、よいところも見ないとならない。そうしないと、よいところや悪いところの、どちらか一方しか見ることになっていない。

 よいのと悪いのをともに見ることでつり合いがとれる。これについては、反日売国自虐史観とされるものにもそうあってよいものだろう。これらを悪いとばかり決めつけるのはいただけない。よいところもきちんと見るようにするのがのぞましい。

 よいと悪いのとは別に、言っていることとその論拠の関わりもある。論拠がこうで、それでこうだと言うのがある。そうではなく、論拠もなしにただこうだと言うのは、決めつけになりやすい。議論になりづらい。たんに悪いとか、たんによいというさいに、よいか悪いかの一方だけをとり上げているから駄目なのだとは言いがたく、そこにあるていどきちんとした論拠があるのであれば、言っていることが当たっていることがあるから、なるべく受けとめたいものだ。

 日本という国をよしとするのはやらないようにしたい。それをやらないようにすることの論拠は色々とあるかもしれない。その中の一つとして、なぜ日本の国をよしとするのをやらないようにしたほうがよいかというと、たとえばそうした歴史をあらわすことで、利得を得ようとしてしまうのがある。

 日本の国にとって都合のよいことをすると利得を得られる。こうなるのは危険だ。戦前や戦時中の日本はこれによって戦争につき進んでしまったからである。日本の国をよしとすることで、精神や物質の利得を得るのは、平和を損なう危なさがあるのに注意をしておきたい。

 参照文献 『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』松木武彦