国民から選ばれて大統領になったのだから、大統領のやろうとしていることに反対するデモについて、デモをやっている人たちの言い分はまったく無視してしまってもよいのだろうか

 国民から選ばれたのがフランスのエマニュエル・マクロン大統領だ。マクロン大統領が進める政治の公共政策がある。それにたいして反対しているのがフランスでおきている過激派のデモだ。このデモがおきたことで、なぜマクロン大統領は自分が進めようとしている公共政策を変えなければならないのか。変える必要はないのではないか。テレビ番組では司会者がそう言っているようだ。

 たしかに、マクロン大統領は国民から選ばれることでその地位についたのはある。それで自分がやろうとしていることを進めようとしている。それにたいして反対するデモがおきた。デモがおきたのだとしても、それはそれとして、自分が進めようとしていることをあくまでもマクロン大統領はやるべきなのだろうか。やるのがふさわしいことなのだろうか。必ずしもそうとは言えないものだろう。

 なぜフランスでデモがおきたのかといえば、マクロン大統領がやろうとしていることについて、国民の理解が不十分なのがあるのではないか。国民の理解が不十分なままでものごとを進めようとしたことで、国民の怒りを買い、デモが引きおこされることになった。

 論点としては、国民から選ばれることでマクロン大統領はその地位についたというのとは別のものをとることができる。ちがう論点として、デモが引きおこされたことにおいて、マクロン大統領が進めようとしていたことが、正しいことだったのかや、のぞましいことだったのかがある。これが正しくなくのぞましくないものだというのが、デモを行なっている人たちの主張だろう。

 たとえ国民から選ばれて大統領になったからといって、それを根拠にして、マクロン大統領が進めようとしていることが、必ずしも正しいことだとは言い切れそうにない。それは必ずしも導かれないものである。また、デモを行なっている人たちが持っている主張が、必ずしもまちがったものだと言うことはできそうにない。デモを行なっている人たちがもつ主張は正しい見こみがある。

 国民から選ばれて大統領になったことは、それをもってして正しい政治のものごとを行なうことを絶対かつ必然に導くものとは言えない。国民の代表を選ぶことで大統領となったのだから、国民を間接として代表しているのにとどまる。そこにまつわる欠点がある。国民にたいして本当のことを言わず、嘘を言う宿命をかかえている。これは日本でも多くおきていることだ。

 マクロン大統領がおし進めようとしていることの逆が正しいことがあるし、デモを行なっている人たちが持つ主張が正しいことがある。そこは色々なふうに見られるものだろう。マクロン大統領は国民から選ばれることで権威をもち、力をもっている。しかし、力(might)と正しさ(right)は分けて見るべきだろう。力を持つ者が正しいとは必ずしも言えるものではない。