憲法の内容(の一部)がおかしいというのとは別に、現実とずれているから憲法を変えるべきだということについては、ずれていても悪くはない(よい)とする見かたも一つにはできるようである

 憲法を何が何でも守る。憲法をなるべく守るようにして、できるだけ変えないようにする。これはまちがったことだと言えるのだろうか。

 憲法を変えるよりも変えないほうがよいというのは、見かたによっては教条(ドグマ)になっている。憲法を変えないという教条をもつことはよくないことなのだろうか。憲法を変えないという教条をもたないようにすることが正しいことなのだろうか。

 憲法を変えないようにして守るのは、とんでもなくおかしかったり、とんでもなくまちがったりするのかというと、そうとは言い切れそうにない。変えないことを正当化するものとして、実証主義を持ち出すことができる。

 法における実証主義では、現実に定められている実定法をよしとする。実定法である憲法の内容の一部が現実とずれていても、実定法のほうをとるのが法における実証主義なのだそうだ。ずれていてもかまわないのだとする。

 憲法を変えたほうがよいという声があるし、変えないほうがよいという声もある。そのどちらかだけが正しくて、どちらかだけがまちがっているとは言えそうにない。変えないほうがよいということでは、憲法の内容の一部と現実とがずれているからといって、それをもってして必ずしも憲法を変えることが正しいのだとは言い切れそうにない。ずれていてもよいということも言えるからである。これをもってして、絶対に変えるべきではないとまでは言えるものではないだろうが。