ずさんな進め方と、ずさんな答え方

 沖縄県では、新しい米軍基地の建設に反対する声がある。それなのに、いまの政府による政権は新しい米軍基地の建設を強引におし進めようとしている。新しい米軍基地を建設するために、急いで土砂を投入しようとしている。

 土砂の投入を請け負う会社は、届け出を出していないようで、それを確かめるために作業が一時的に中断されているという。これは、政権が新しい米軍基地の建設を急いで行なっていることから、ずさんなやり方になっていることがあらわれている。それを記者から問われた官房長官は、かんたんに、(その質問は)当たらない、と答えたという。

 官房長官は、記者からの質問にたいして、当たらないとだけ答えたが、この答えかたがずさんだ。答えの内容もまたそうだ。政権のやろうとしていることは、議論や記者への受け答えを含めて、色々とずさんになっている。

 せっかく記者が意味のある問いかけを投げかけているのに、それにまともに向き合って答えようとはしていない。もしくは答えられないのかもしれない。記者が意味のある問いかけをしているのだから、それにできるだけまともに向き合って答えてほしいものだ。

 そっけなく、(その質問は)当たらない、と返すのでは、意味のある問いかけが台なしだ。当たらないなら当たらないで、当たっていないことを立証する責任は政権にあるだろう。政治の権力を担っていることからくる当事者の責任だ。厳しく言えばそういうことができる。その責任を果たさないのだから、記者の問いかけは当たっているというしかない。

 ちなみに当たっていないことを立証するのは、ないことを示すものだから、悪魔の証明になるから示せないという首相のよく用いる言いわけがある。これは直接的に立証できないから、直接には示せないが、間接的には示せる。なので首相が用いる言いわけは通用しない。当たっていないことを間接的に示すには、当たっていると仮定して、その仮定がもし正しければこうで、でも現実にはちがうから、当たっていない、とすることができる。当たっているという仮定と現実が整合すれば当たっていることになる。

 直接には無いことは示せないが、間接には無いことは示せる。無いというのは非存在で、その非存在は間接的には間接証明法によって示せるのだという。そこまでしなくてもよいけど、せめて当たっていないということの根拠くらいは言ってほしいものだ。