ゴーン氏と首相とのちがい

 日産のカルロス・ゴーン元会長に、有罪推定の報道が行なわれている。これはよくないことだ。あくまでも無罪推定の報道をすることがいる。

 ゴーン氏にたいして無罪推定の報道をせよと言っておいて、なぜ安倍晋三首相にそれを当てはめないのか。首相にそれを当てはめないのは二重基準(ダブルスタンダード)だ。そういったツイートがツイッターで投げかけられているようだ。

 ゴーン氏と同じように、首相にも無罪推定を当てはめることがいるというのは、首相は容疑の疑いがかかっていることになる。首相は容疑者なのか。ツイートではこうしたことも投げかけられていた。

 現実においては、ゴーン氏は有罪推定で見られているのだから、それに合わせるのであれば、首相もまた有罪推定で見られるのでないとならない。しかし現実には、ゴーン氏は有罪推定で見られているものの、首相はそれと同じくらい厳しく見られてはいないで甘く見逃されている。下に厳しく上に甘い形であつかいが二重基準になっている。下といっても、ゴーン氏は経済の世界では上ではあるが。

 ゴーン氏には推定無罪を当てはめるが、首相にはそれを当てはめない。こうするのだとしても、とくに二重基準になるとは言えそうにない。二重基準にはならないし、不公平にもならない。

 もし二重基準になったり不公平になったりするのだとすれば、ゴーン氏と首相はまったく同列であることになる。しかし同列ではないとすれば、それぞれにちがった応じ方が行なわれてよい。

 まず、ゴーン氏は民間の人だが、首相はそうではなく公人である。民間の人と公人とでは同じあつかいにするのは適していることではない。

 ゴーン氏は民間の経済において多額のお金を稼いでいた。その点では経済における強者である。しかし公人ではないし、政治における強者ではない。そのいっぽうで首相は政治における権力者なので、政治の強者だ。政治の強者は国民にたいして暴力を用いられるので、甘く見るのではなく厳しく見ることがいる。

 ほんとうは、首相が自分から(言われなくても)国民にたいして説明を尽くすことがいるが、それは行なわれていない。人から聞かれたことにすらきちんと答えていない。大手の報道機関にたいして圧力をかけたり、追求から逃げたりしているしまつだ。こんなていたらくなのだから、少なくとも一つの視点としては、不正をしていると見るのが適したことではないとは言えないだろう。