日本にとって韓国は敵国であるという見かたは、個人としては受け入れられるものではない

 韓国はいまや明らかな敵国だ。韓国からの労働者を日本に受け入れてはならない。韓国にいる日本の企業は早く撤退すべきだ。韓国から日本の企業が何をされるかわからない。そんなツイートがツイッターで言われていた。

 韓国はいまや明らかな敵国だというのは、韓国の裁判所で、日本の戦時中における徴用工について、日本の企業に賠償を命じたのがあるからだろう。これをもってして、日本にとって韓国は敵国となったと言えるのだろうか。

 何が明らかになったのかというと、日本にとって韓国が敵国となったことなのだとは言えそうにない。そうではなくて、日本と韓国とのあいだにずれがあって、問題がおきていることは明らかだろう。

 日本が韓国のことを敵国だと見なす。それで交流を断つ。やりとりをしないようにする。現実としてこうしたことができるとは見なしづらい。隣り合っている国どうしだからである。国というのは人などとはちがい、どこかへ動いて行くことはできない。したがって、将来の影を見こして、何とかお互いにうまくやって行くようにして、摩擦を少なくして行くように時間をかけて努めることが合理的だろう。

 お金に関して言うと、日本は韓国にたいして、たとえ一円であってもお金を支払いたくはない。そんなけちな気持ちがおきているのだとしたら、それは人情としてはまったくわからないことではない。そこは許容度が関わってくる。

 なぜ日本の企業にたいして韓国の裁判所は賠償を命じているのかというと、かつて戦争のさいに悪いことをしたためなのがある。かつて戦争のさいに日本はきわめて悪いことをしたのを省みれば、それにたいしての補償としてお金を支払うのを許容するのが筋なのではないだろうか。

 お金を支払うのを許容するのは、日本にとって手痛いことだ。その手痛さというのは、日本がかつて戦争のさいにきわめて悪いことをしたことによっている。それが手痛さとなっている。だからそれを引きうけるのは意味があることだ。痛み(pain)によって得られる(gain)意味がある。その意味というのは、これから先において、ふたたびかつてのような戦争や植民地の支配という愚かなあやまちをくり返してはならないということだ。