強くても反面教師であるのなら、強い意味はあまりない

 いまの与党は、数が多いという点では強い。強いものから見習うことができるかといえば、そうとは言えず、反面教師である。強いけど反面教師だというのがある。

 強いけど反面教師なので、強いからといって見習いたくない。見習おうという気がおきない。ああはなりたくないという気になる。

 強いものが正しいのなら、経済でいえば、大企業はみんな正しいことになる。しかし現実にはそういうわけではない。大企業だからといって正しいとは限らず、おかしいことや悪いことをやっているところがある。お金をかせぐさいに、無駄に資源を使っていたり、労働者などから搾取していたり、手抜きをしていたりすることがある。

 いまの与党は強いといっても、改めて見れば、そうたいしたものではないだろう。あなどることはできないとはいえ、もろさや弱さがあるのはいなめない。あらゆることで正しいことをしているのでもない。清と濁があるうちで、濁のことをしないと権力は保てない。

 いまの与党は強くて、野党は弱い。それで弱い野党を強くする。そうすることは必ずしもいるとは言えそうにない。野党や反対勢力(オポジション)は、強いか弱いかではなく(強ければそれに越したことはないのはあるが)、それよりも正しく考えたり判断したりすればよい。正しく考えたり判断したりするのが肝心だ。そのためには、権力にいたずらに迎合しないでほしい。謙虚さと自信をあわせ持つようにしてほしいものだ。