ひらがなの、か、で見出しを終わらせることにたいする違和感

 某氏、不正か。某氏、悪用か。そんな見出しが新聞の紙面に載っている。ジャーナリストの江川紹子氏は、これについて、一般の新聞のスポーツ新聞化だとツイッターでツイートしていた。

 NHK も、同じような報じ方をしているのを見かけて、違和感をぬぐい切れなかった。見出しの最後に、ひらがなの、か、をつけるのはできるだけやめてほしいものだ。最後の、か、をとり除いて、名詞で止めてくれるのならよい。

 ひらがなの、か、で見出しの最後を終わらせるのは、改めて見ればそうとうにあいまいだ。受けとる人に判断を丸投げしているようなものである。問いかけられているようで、印象がよいものではない。

 ひらがなの、か、で見出しを終わらせるのは、疑いがあるとか、可能性があるというのを縮めてあらわしたものと見られる。疑いや可能性があるとしても、それが大きいのかそれとも小さいのかのちがいがある。

 ひらがなの、か、は、名詞などのように内容を示しているというよりも、働きによる語である。働きによる語であるために、それを最後につけると、きちんと着地できていないように受けとれる。定まっていない。幅のある受けとり方ができてしまう。そこをもうちょっと限定してもらわないと、厳しく言えば無責任なのがある。