新しく出た、愛国の色あいが大きいとされる歴史の本がある。この本には、これを読んだ複数の人によって、ウェブのウィキペディアなどから引用されている疑いがあるのが言われている。
日本はよい国だというようなことで、日本の歴史をあらわすのは、簡単なようでいて、あんがい難しいことなのではないだろうか。難しいわけとして、現実には日本は必ずしもよい国ではないところがあげられる。
どんな国であってもよいところと悪いところがあるから、日本はよい国だというのをとってしまうと、悪いところをとらないことになり、内容が偏ることになる。現実によるのではなく虚偽意識(イデオロギー)におちいりやすい。
日本はよい国だということで歴史の本をあらわすのは、日本という国に賛成することだ。日本という国に賛成するのは、反対するよりも意外に難しいところがある。日本という国に賛成するさいに、それがしっかりと地に足のついたものにするためには、反対説にも目くばりするのが欠かせない。反対説のほうが説得性が高かったり、反対説にほとんど目くばりをしていないのであれば、賛成することにあまり説得性が出てこない。
近代において、日本の国は戦争を引きおこして、自国や他国の人たちにいちじるしい不幸をもたらしたことはほぼ疑いがない。そこから戦後において経済をはじめとして立ち直ったのはあるが、これは日本の一国の力だけによるものではないだろう。日本という国がすごいからというのでは必ずしもない。
とりわけ近代や現代において、日本という国があやまちをおかして、大きな失敗をしたのがある。その失敗から戦後には経済をはじめとして立ち直ったのはあるが、だからといって過去の失敗を矮小化してよいことになるとは言えそうにない。この点については、色々な見かたがとれるのはあるかもしれないが。
偏っているのはあるにせよ、近代や現代の日本については、悪い負のところを外すことはできづらく、そこを重んじるほうが現実的になりやすいのがある。中立にはなるものではないが、まだまだ日本の社会にはさまざまな問題(プロブレマティク)が解決されないままにある。さまざまにある問題について、日本はよい国だということだけで何とかなるものではないだろう。
いまの日本には、過去から引きずっているものを含めて、さまざまなやっかいな問題が多くあるのは無視できそうにない。日本はよい国だとして、日本の国に賛成するような歴史をあらわすのは、偏っているかどうかや、正しいかまちがいかは置いておくにしても、現実から離れた虚偽意識になりかねないし、それほど簡単ではなく難しいのがある。