日本が過去におかした負の歴史を都合よく合理化したり(罪を)中和化したりするのは、大人が歴史を学んでいることになっているのだろうか

 ひんしゅくを買い、批判を受けた洋服を着ていたのは、悪気があってのことではない。悪意があったわけではない。韓国のアイドルグループは、原子力爆弾のきのこ雲の図がらが入った洋服を過去に着ていたが、それは自分の意思で、悪い意図のもとにそうしたのではないとの見かたが投げかけられている。

 テレビ番組で、出演者の一人はそう言っていた。しかし、番組の全体の空気は、それとは反対のものだった。番組の司会者は、韓国のアイドルグループにたいして厳しい声を投げかけている。

 アイドルグループのアイドルたちは大人なのだから、歴史を知っていて当然だ。きのこ雲の図がらが入った洋服を、他の人から手わたされたのだとしても、おかしいとかまずいと自分で確実に気がつくべきだ。それに気がつかないのはどうかしている。

 テレビ番組の司会者はこう言っていたが、これにたいして言葉を返すようだが、いまの日本のテレビの世界もまたどうかしているのではないだろうか。そういう気がしてならない。いまの日本のテレビの世界は、大人たちの手で報じているものだが、その大人たちは本当に過去の歴史から学んでいるとは見なしづらい。

 もしかりに、日本のテレビの世界で、番組にたずさわっている大人たちが、日本の過去の歴史からきちんと学んでいるのであれば、いたずらに隣国のことを叩かないはずだ。テレビの番組の中で、空気が単色(一色)のものになって、隣国や隣国の人たちのことを叩くのは、排外になっているのを示す。これは改めて見ると怖いことだ。

 たとえ視聴率が稼げるからだとか、少しでも視聴率を稼ぎたいからといって、視聴者をたきつけて、大衆迎合(ポピュリズム)におちいることはよいことだとは言えそうにない。一部の視聴者に受けるからといって、番組の出演者は、いたずらに隣国や他国(や他民族)などを叩くべきではないのではないか。

 過去の日本の歴史では、権力者や報道機関を筆頭にして、日本をよしとするような勇ましいことを言いつづけることによって、破滅につき進んでいった。この過去の歴史を省みるのであれば、日本をよしとするような勇ましいことをいたずらに言うべきではない。それをつつしむことがいる。つつしむことをせずに、日本はよいとか、日本の他の国や民族はおかしいとして一方的に責めるのであれば、過去の失敗から何も成長していないのではないか。

 ほかの国や民族のことを言う前に、いまの日本の政治をになう権力者やテレビなどの報道の世界こそが、過去の日本がおかした負の歴史から学んでいない大人が多くいるのだという見かたをとってみたい。いまの日本こそが、過去の日本がおかした負の歴史について、少なからぬ大人がそれを軽んじてしまっていることがおきてしまっている。それがあらわれ出ているのが、テレビ番組の中で見うけられる。

 えらそうなことを言ってしまってはいるが、いまの日本の政治をになう権力者や、テレビなどの報道の世界に、他の国や民族が歴史を学んでいないだとか、誤って理解しているということを言う資格があるとはどうしても思えない。いまの日本では、歴史修正主義がおきてしまっているから、そこを何とかして改めることが最優先であって、ほかの国や民族のことを言っている場合ではない。