歴史(ヒストリー)の語源は物語(ストーリー)だということにおける、動機と細部とつじつまの三つの点がある

 ヒストリーの語源はストーリーだ。これは私たちの物語(ストーリー)なのだ。新しく出版された、愛国の色あいの大きいとされる歴史の本では、こうした売り文句が言われていた。

 新しく出された歴史の本が物語であるというのであれば、三つの点を満たしているのがのぞましい。何を言わんとしているのかの動機(モチーフ)と、細部(ディティール)と、つじつまである。

 何を言わんとしているのかの動機については、受けとる人によってよしとする人がいたりそうではない人がいたりするものだろう。すべての人を納得させるというわけには行かないだろうから、そこはいかんともしがたいところだ。送り手が愛国による歴史を言ったさいに、その動機について、よしとする人がいたり、そうではないとする人がいたりする。

 全体の中で、細部がおろそかになっているとしたら、それはものによっては見すごしがたい。細かいところにまで神経が行き届いているのがのぞましいものである。細かいところにあらが目だつのであれば、十分に力を注いでつくりこまれているとは言えそうにない。台なしになることがある。

 内容のつじつまが合っているかや、現実とのつじつまが合っているのかがある。ほかで言われている説とのつじつまが合っているのかも無視することはできづらい。内容どうしのあいだにおける整合性や、現実で言われていることとの整合性などが確かでなければ、説得性が十分とは言えなくなる。

 動機と細部とつじつまの三つは、作家の阿刀田高氏が説いていることで、それを当てはめてみたものである。歴史は物語だというからには、それを語った送り手によって編集されているものだろう。どのような認知の枠組み(スキーマ)がとられて、何を取捨選択したのかがある。何を表だって語り、何を裏に隠しているのか。表だって語っていることのみならず、その裏に秘匿していることを見られる。