韓国のアイドルグループへの批判と、表現や言論の自由を制限するかくあるべしの当為(ゾルレン)

 韓国のアイドルグループのアイドルは、過去にナチス・ドイツの軍服を着ていたことがあったという。かぎ十字のもようが入った帽子をかぶっていた。ナチスの行なっていたふるまいを演出としてとり入れた。

 ユダヤ人団体はこれに抗議をした。抗議を受けて、韓国のアイドルグループは謝罪して、ユダヤ人団体はこれを受け入れる意思を示しているという。過去の歴史における基本となる知識の不足はよくない、とユダヤ人団体は言っている。悪ではなく善に役立つために行動してほしい。

 韓国のアイドルグループは、ナチス・ドイツ原子力爆弾のきのこ雲の写真が入った洋服を着ていた。それで騒動が引きおこされた。この件では、表現の自由言論の自由が制限されたと見ることができる。完ぺきな自由があるのではなく、表現してはいけないことが中にはあるのを示す。

 完ぺきな表現や言論の自由があるのであれば、ナチス・ドイツや原爆のきのこ雲の写真が入った洋服を着ていたとしても、それをしてはいけないと非難されることはなくてよい。してはいけないことだという批判を投げかけられなくてもよい。しかし、完ぺきな表現や言論の自由はないことから、非難や批判を受けることになった。

 仮定として、完ぺきな表現や言論の自由があることをよしとするのであれば、ナチス・ドイツや原爆のきのこ雲の写真が入った洋服を着ていることが許されるのがふさわしい。これを許さないで、非難や批判を投げかけるのであれば、表現や言論の弾圧をすることになる。弾圧というのは誇張があるが、ある表現や言論は許されて、別のあるものは許されないというのでは、公平であるとは言いがたい。

 完ぺきな表現や言論の自由というのをとりあえず脇に置いておけるとすると、ある人が自由を行使することで、別の人に影響をもたらすことがある。それがマイナスの影響であることがある。そのマイナスの影響が、はなはだしいものなのであれば、それをこうむる人にとっては受け入れることはできづらい。

 韓国のアイドルグループによる今回の件では、もしかりに、完ぺきな表現や言論の自由があるとするのであれば、非難や批判を投げかけられることはなかった。特定のふるまいや、特定の図がらの洋服を着ていても、それは自由だということになる。どのようなふるまいや、どのような図がらの洋服を着ていたとしても、直接に物理の危害が他者に加わるのではない限りは自由であるべきだとなる。

 現実においては、韓国のアイドルグループは、ユダヤ人団体や原爆の被害者の方たちによる団体や、その他の人たちから非難や批判を受けた。この非難や批判が投げかけられたのは、ある特定のふるまいや図がらの洋服は、それを行なったり着用したりするべきではない、ということが示されたことになる。これが示されたのは、表現や言論は完ぺきに自由であるべきだというのではなく、ある特定のものについては自由であるべきではない、というかくあるべしの当為(ゾルレン)がとられたと見られる。自由と非自由の二つの当為がある中で、一部の表現については制限するべきだという非自由の当為が優先された。