戦時中の徴用工(他民族の労働者)では、外から日本にやってきた人は(国内において)少数者に当たるために、立ち場が弱く、生きづらく苦しい目にあったのだという

 いまの首相による政権は、移民を受け入れるのではないという。移民ではなく労働者だという。しかしじっさいには事実としては移民であると見られている。事実としては移民であるのなら、きちんとそのことを表にして明らかにして、たんなる労働者というのではなく人間としてのあつかいをとるようにしないとならない。

 いまの首相による政権がおし進めようとしている外国人技能実習制度では、外から日本にやってきた外国人の中で、不当な負のできごとに見まわれている人がおきているという。本当かどうかは確かではないが、中には、鉄パイプでなぐられている人もいるというのだから、それが本当だとすれば深刻だ。

 現代の外国人技能実習制度でおかしなことが引きおこされているのだから、戦時中における過去の徴用工のことを否定することはできづらい。外国人技能実習制度は、現代版の徴用工に当たると見られる。まったくつながりのない非連関なことだとは言えそうにない。

 いまの首相による政権は、移民ではなく労働者だと言うが、じっさいには事実としては移民だと言うことができる。制度によって外から移民を受け入れるのであれば、外からやって来る人たちにたいして、日本の国内で不当なあつかいを受けないことを確かなものにしないと、現代版の徴用工が引きおこされることになる(すでに引きおこされていると見られる)。

 外からやって来る人たちにたいして確かなものにしないとならないことは、できるだけ分断線を引かないで、人間として平等なあつかいをすることだろう。国家主義のようなことで分断線を引いてしまうと、戦時中において非国民をつくってしまったあやまちをくり返すことになる。

 分断線を引いて非国民をつくらないようにするためには、そもそも外から人(移民)を受け入れないようにするという手があるが、もし受け入れるのであれば、非国民のようなあつかいにならないようにするために大きな注意を注ぐことがいる。

 事実としての移民を日本に受け入れるのであれば、それらの人たちは、可傷性(ヴァルネラビリティ)をもつ。悪玉化されやすく、贖罪の山羊(スケープゴート)になりやすい。それらの点をあらかじめ見こしておかないとならない。排除されやすいというのをあらかじめ見こしておくことがいる。

 過去に戦時中において徴用工が引きおこされたことの失敗による教訓をくみ入れられるとすれば、現代版の徴用工が引きおこされるのではないようにするための、防ぐことに生かされればよい。国内では、外からやってきた人を含めて、少数者はしいたげられやすい。排除されやすい。

 国内において、少数者に当てはまることなどによって、生活に困るような人は、その人にたいしてステレオタイプによる独断や偏見がおきていることが少なくない。まちがった思いこみによるステレオタイプをとらないように改められればのぞましい。法の決まりによって少数者や弱者を守るようにして、労働において不当なあつかいを受けないようにすることがいる。

 制度によって外からやってくる人たちは、国内において少数者に当たりやすいために、少数者が不当なあつかいを受けないようにするのを確かなものにしたい。制度によって外からやってくる人を含めて、少数者や弱者が、よき歓待(ホスピタリティ)を受けるようにして、もてなす。制度によって外からやってくる人たちを含めて、少数者や弱者が、差別や排除をこうむらないようにするためにいるのが、よき歓待によるもてなしだ。