与党を正として野党を誤とするのと、与党を低として野党を高とする形式の仕組み

 政権をになう与党は正しい。野党はまちがっている。政権をになう与党の足を野党は引っぱってしまっているのは駄目なことだ。与党が大衆迎合(ポピュリズム)であるとしていったいそれの何が悪いのか。こんなことが言えるのがある。

 与党を正として野党を誤とできる。与党は正なのだから、その足を、誤である野党は引っぱるべきではない。邪魔をするべきではない。一般論としてそう言えるものとは見なしづらい。具体や特殊のものだろう。正しいものが選ばれるとは限らない。

 具体や特殊は不公平になることがあるものだ。一般論として公平なあり方をとるのであれば、与党は正として野党は誤とするのではなく、与党を低として野党を高とするのがとれる。野党は高なので、政権をになう与党をきびしく監視する。与党は低なので、野党(反対勢力)の監視や批判を受ける義務を負う。

 批判のための批判なのであれば、それはのぞましいことではない。そうではなくて、的を得た批判なのであれば有益だ。

 仕組みとして与党が低で野党が高となっていて、与党が野党などからの監視や批判を受ける義務を負う。野党などが与党をきびしく監視できるようになっていれば、与党が(正ではなく)誤であるときに、その誤を明らかにするのをうながす。

 かなり骨抜きにはなっているが、いちおう形としては仕組みがあることで、かろうじて与党の誤が浮きぼりになっているのがある。大手の報道機関を飼い慣らすことなどをして、与党は自分たちの誤を隠すのに必死だが、それでもいちおう形としては仕組みがあるので、誤を隠しきれなくなっている。

 批判のための批判になってしまっては駄目なのはあるが、与党は正で野党は誤だという絶対の確証はないのはたしかだ。与党を低として野党を高とすることによって、与党は監視や批判を受ける義務を負い、野党などは権力について監視や批判をする仕組みは、あったほうがよいのはまちがいがない。いまの首相による政権のありさまを見ると、それがひしひしと感じられる。