上下関係がとられていると、民主的で有益な話し合いはできづらい

 民主的で有益な話し合いが、国会において行なわれていない。これは民主主義が形骸化していることをあらわす。

 民主主義とは何か。それは下剋上である。評論家の小林秀雄氏はそう言っているという。上は上であり下は下であるとはならないようにすることがいるものだろう。

 上は正しく、下はまちがっているとすると、優劣関係になってしまう。そうではなくて、上と下との差をつけない並列関係にするのがのぞましい。

 いまの国会では、民主的で有益な話し合いが行なわれていないが、これは上と下に差がついてしまっていることによっている。優劣関係による差別的な秩序がとられているのだ。

 上が大きな力を持ちすぎるのはいけないことだし、その逆に下が大きな力を持ちすぎるのも必ずしもよいことではない。

 民主主義においては、自由と平等があることがいるが、これがひどくないがしろになっているのは無視することができないものだ。党の中で、党がよしとする画一のあり方にそむく者に冷や飯を食べさせるのは、自由や平等がいちじるしく損なわれている。これを平気で行なっているのがいまの与党である自由民主党にほかならない。

 党の中で、自由と平等が損なわれているのを改めたらどうだろうか。権威主義にはならないようにする。大きな党と小さな党のあいだにも、あつかいになるべく差がつかないようにする。

 国会において、民主的で有益な話し合いが行なわれていないのは、大したことではないとは言えそうにない。軽んじることはできそうにない。

 アメリカの市民は、大統領に向かって、こうした声を投げかけているという。Words have meaning.(言葉の力を軽視するな)。これはそのままいまの日本の首相や与党にも当てはまることだろう。

 アメリカの市民が大統領に向かって投げかけた声は、そのままいまの日本の首相や与党にも当てはまる。共通性があることになる。この市民からの声が当てはまるわけは、政治において市場原理主義がとられていることによる。市場原理主義によって、売れれば勝ち、選ばれれば勝ち、となっている。お金を多く稼げば勝ちで、そうでなければ負けだ。

 売れれば勝ちとか選ばれれば勝ちという市場のあり方は表のものだが、その裏には不正や抑圧や腐敗や搾取が横行する。裏には汚いことや悪いことがおきている。その負のところに照明を当てることは必要だ。

 市場のあり方は優劣関係になるものだが、これは数の大小などをもとに、優と劣に差をつけるものだ。そうではなくて並列関係にすることが、民主主義をとることにつながる。優と劣を固定させるのではなく、流動させたりひっくり返したりするとよい。優と劣は強と弱だが、これは強い者にすがる権威主義のあり方だ。それとはちがい、みんなともに弱いというのが民主主義ののぞましい形だろう。