危ない地域へ自分で行ったことの自己責任と社会的矛盾(世界的矛盾)

 もし町で直接に見かけたら、文句は言いたい。テレビ番組の出演者はそう言っている。文句を言う相手は、中東の紛争地帯で武装勢力に人質になったフリーのジャーナリストである。ジャーナリストは三年ものあいだ拘束されていて、三億円の身代金をかけられたという。

 ジャーナリストにたいして町で会ったら文句を言いたいとのことだが、これは悪いことをしたから文句を言うということだろうか。中東の紛争地帯に取材に行く人は日本の社会の中では少数派だ。正しい多数派がいて、まちがった少数派がいるという図式がかいま見られる。

 なぜまちがった少数派がおきてしまうのだろうか。そこには社会的矛盾(ジレンマ)がはたらいている。その矛盾があるために、ジャーナリストは中東の紛争地帯におもむいたのだととらえられる。そこに行くことの誘因がはたらく。

 少数派に当たるジャーナリストは、誘因がはたらいたことで、中東の紛争地帯に行ったわけだが、それはまちがいなく悪いことだと言い切ることはできるのだろうか。完ぺきに悪いことだと言い切れるものなのか。必ずしもそうだとは言えないのがあり、それについての色々な声が投げかけられている。

 社会の中には、社会的矛盾がおきるのは避けられない。みんなもれなく同一のあり方をとるとは行きづらい。この矛盾は、国際的なことが関わるものであれば、世界の矛盾を映し出しているものでもある。国内における同一のあり方からはみ出たのは悪いことだとして、町で見かけたら文句を言うのではなく、折り合いをつけてみるのを試すのはどうだろうか。国内の多数派は正しく、少数派はまちがっているとは一概には言えず、創造性があるのはえてして少数派であることは少なくない。